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Web誌友会 板/2

3587曳馬野:2013/12/29(日) 17:37:32 ID:xR0RYWLc
無我・至誠の実践

鉄舟は二十三歳の折りに「心胆錬磨の事」という一文(『鉄舟随感録』125頁)を書いているが、そこで彼は心胆を錬磨することの奥義を自ら
体得するために、「古今の聖人傑士」がいかにしてその道を修得し、また発揮したかを、その事蹟を学ぶことによって、考究したという。
そして、「我れ幼年の時より、心胆錬磨の術を講ずる事、今日に及ぶといえども、未だその蘊奥(極意)を極むる事あたわざる所以のものは、
一つに我が誠の足らざるが故なり」と述懐している。

また、鉄舟が明治天皇の侍従をした功績を認められて叙勲されようとした時に、「まだまだお尽くし足らぬと思っているのに、叙勲などもってのほか
だ」と断言し、「喰うて寝て何も致さぬご褒美に、蚊族(「華族」と同音語)となってまたも血を吸う」と自嘲した。これこそ実に鉄舟全幅の赤誠の
表現である。

鉄舟は天皇の教育係役を西郷隆盛からのたっての依頼で引き受け、天皇から最も信頼された側近であった。しかも彼の前の主君は、
最後の将軍・徳川慶喜であった。将軍にとって代わって最高権力の座についた天皇に新たに仕えることになった鉄舟は、殊に将軍の部下であった
旧武士達から口さがない批難を浴びた様であるが、それでも彼は一向に弁明などせずに天皇にお仕えした。鉄舟にとっては、徳川将軍に仕えるにせよ
明治天皇に仕えるにせよ、いずれも至誠の一直心(じきしん)を行ずることに他ならず、自らに顧みて何ら天に恥じることがなかったからである。

孔子は大聖人であるが、その孔子にしてなおかつ、「勤勉では私も人並みだが、君子としての実践では、私はまだ十分には行かない」
(『論語』述而第七、103頁)とか、「君子の道は四つ有るが、私は未だその一つをも行なうことが出来ない」(『中庸』第十三章)などという
恐るべき述懐がある。私見に依れば、これこそ「意・必・固・我」の四つを断たれた孔子の無我・至誠のおのずからなる発露に他ならない。

孔子が「自分は君子の実践すらまだ不十分だ」と述懐され、鉄舟が我が身の誠の足りないことを痛感することこそ、無我と誠の実践そのものである。
自分は何でも出来る、足らぬところがないなどと自負する人は、傲慢で鼻持ちならなくなってしまう。それは結局、我が身可愛さ故の「身のひいき」
であり、我見である。これに対して、誠を実践躬行する人は、その限りのないことを知れば知るほど、ますます謙虚になって行く。
世語に「実るほどこうべ(頭)を垂れる稲穂かな」というのも、ここのところを指すのであろう。

以上楽道庵ホームページより


●生長の家の混乱は須らく本流派の頭領方の無我至誠の足らざるによるものと私は思うものであります。

生長の家無き古より無我至誠の道は有り、鉄舟居士が禅により大悟することによってそれを獲得したものであります。

生長の家により斯くの如き至誠の人如何ほど排出されたのであろうか。

 復興Gさんが斯かる至誠の人となられることを祈念し、誌友会最後の投稿とします


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