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Web誌友会 板/2

1223復興G:2013/05/19(日) 10:12:33 ID:AB6RqYXc

 皆様、おはようございます。しばらくでした。

 私は一昨日、羽田発朝一番の飛行機で1時間半あまりのところへ飛び、傘寿(80歳)記念の高校同期生会に出てきました。115人集まりました! その年齢を合計すると1万歳になんなんとするすごい同期会。(同じ一つの高校の卒業生ですよ。)

 盛大な同期会でしたが、その司会をしたのは同期会メンバーで、ラジオ局のアナウンサーをしていた、芯は強くてしゃべるのが大好きな男。
 彼が、司会者権限で、こんな話をしました。

 同期生の一人、I君の話――

 I君の父は当地42連隊の兵士として中国大陸に派遣され、山東省徐州の南 臨沂(りんい)市で中国軍と激戦を展開、壮烈な戦士を遂げた。それはI君が小学校就学前のことで、I君は母親の手一つで育てられたのである。

 十数年前、会社を定年退職したI君は、その父の戦場をたしかめ、慰霊の香煙を手向けるべく中国へ渡る。
臨沂(りんい)での激戦ではわが42連隊も多くの戦死者を出したが、中国軍の死傷者は更に甚大であったときく。
現地を訪問したI君に対し、中国人の眼は冷たく光っていた。
 父が戦死したと思われる場所には、学校らしき建物の骨組が建設途中のまま放置されていた。とりたてて産業のないこの地、金がないとの話。

 帰国したI君は、その光景を思い浮かべ、ひとつの決意を固めた。自家用車を更新しようと準備していた200万円で、なんとか学校が完成しないものか――と、彼は「迷うことなく」中国に送金した。

 まもなく学校の校舎が完成したと、竣工式の日取りを添えて現地から知らせが届いた。
 I君の姿を見た現地の人々は歓声と大きな拍手で迎えた。あの冷たい眼は、そこには一つもなかった。

 ――よかった! I君は今も新車は買わず中古車から中古車に乗りかえながら、同期会に明るい顔を見せ、得意のハーモニカで校歌や応援歌を演奏してくれている。

 (われわれ同期生は中学入学の時は県立の旧制中学であった。それが後に高校となる)
 中学の時の教科書に、以下のような心を打たれた一文があった。そのタイトルは仮に「本当の日本人」としておく。フランスはパリでの話。その書き出しは

 「何だ何だ、どうしたんだ」――口々に叫びながら人々はバスティーユ広場へ駆けだした。
 見ると一頭の馬が倒れ、口から泡を吹き出している。馭者は手綱をとってなんとか馬を起こそうとするが、石畳にすべって馬はもがくばかりだ――。
 そのとき、一人の背の低い紳士が馬のところへ出てきた。日本人である。紳士は自分の上着を脱ぎ、それを丸めて馬の蹄鉄をくるんだ。彼は手綱をとると、「ハイヨーッ」と日本語で馬に声をかけた。馬が立ち上がった。鼻から息を吐き、ヒヒヒーンと啼いた。みんなが拍手した。口笛が鳴る。馭者は「メルシー(ありがとう)、メルシー」と涙を流さんばかりに礼を述べた。だが紳士は「ノン、ノン」と上着をとり、よごれを払って人の中へ消えていった。

 大使でもない、公使でもない 一人の日本人。
 こういう人こそが、本当の日本人である。

 心からの一人の善意が積み重なって、大きな平和への力となる。

 国際交流、政府援助も地位も名誉もかかわりない一人の男、I君。 こういう日本人が同期生わが○○高校に席を並べていたという事実に、大きな誇りを抱くのである。I君こそ真の民間大使と思う。ありがとうI君。I君に盛大な拍手を送ろう!

 ――と司会者のS君はいうのでした。
<つづく>


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