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Web誌友会 板/2

3437復興G:2013/12/10(火) 21:16:43 ID:AB6RqYXc

>>3436のつづきです。

 私は、禅寺で修行をして、そちらの権威ある高僧から 「お前は見性したと認める」 という允可を受けなければ、禅宗の神髄を讃え拝むことが出来ない とは思いません。

>>3436で書いたように、禅の教えも、「神(宇宙根源の大生命)が教祖を通して語られていて、宇宙の真理をあらわしている」 として、尊敬し拝むことができると思います。

>> 【自然と人間が対立して争いあっているなどと見るのは、迷いであると私は思います】、と云われるのですから。
迷っている人はいないと云いながら、雅宣先生の主張は迷いの産物であると云われる。
復興Gさんの中に 「迷い」 と云う観念は有りませんか。私にはあなたのは観念上の実相論であり、実相に生きているとは思えないのです。<<

 「迷い」 とは何か。
 また 『神 真理を告げ給う』 から引用させていただきますが――

<< あなたは仏教の 「煩悩即菩提」 という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。“迷い” がそのまま “菩提” の道程であるということである。“迷い” という 「菩提とは別なもの」 があるのではないのである。“迷い” と見えているものが、実は “悟り” が動き出し、現象化しつつある道程であるから、“迷い” 本来無しといい得るのである。

 あなた達が “迷い” だと思っているものは、実は “わたし” が “神の国” を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。>>

 とお教え頂いておりますから、「迷い」 という 「悟り」 とは別なものがあるのではない。“悟り” が動き出し、現象化しつつある道程であるのだ。「実相独在」 が真理である、と思いながら、書かせて頂いています。

 とりあえず、以上が曳馬野さんの>>3432に対するレスポンスです。


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