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Web誌友会 板/2

6016a hope:2015/11/22(日) 09:10:18 ID:cEpBaIdo
>>6014つづき

「生命の實相」第23巻 p77 5行目〜

そういうキリスト教徒には、「創世記」の第一章にわれらの創造主なる神が、明らかに “ Elohim” と録(しる)されており、第二章では、 “Jehovah” と録されているのに気がつかないのであります。

「エロヒム神」がわれらの創造主であり、エホバ神はわれらの「ニセ物の創造主」なのであります。

「エロヒム神」は霊なる「言葉」をもってわれら人間を神の像(みすがた)のごとく完全に罪なく悩みなく創造り給うていっさいの物を支配する権利を与え給うたのであります。

「エロヒム神」を創造主とせる人間は霊的実在であって罪もなければ病もない、悩みもなければ苦しみもないのであります。

ところが「創世記」の第二章では、われらの創造主「エロヒム神」がいつも間にか「エホバ神」という名前に擦りかえられているのであります。

諸君はここに気づかねばなりません。

諸君が自分の「本当の父」だと思っていたエホバ神は「本当の父」ではなく、戸籍謄本がいつの間にか書きかえられて、「ニセ物の父」が「本当の父」であるように公文書が偽造せられているわけであります。

「創世記」第一章にあるわれらの創造主なる父はわれらを「言葉」にて神の姿に完全無欠に霊的実在として創造(つく)り給うたにもかかわらず、エホバ神は「お前はエロヒムの子ではない。俺の子だ。お前は完全なものではない。霊的実在ではない、物質で創造(つく)ったものだ。罪を犯すものだ」とわれらに言っているのであります。

そのエホバ神の言葉を信じて、「自分は愛の神、全能の神、完全の神の子で、神そのままの像(すがた)に完全に造られていると思っているのに、それは嘘であったのか。自分は土の塵(物質)の子であり、罪を犯すように造られ、そして罪を犯したら神に罰せられるように造られているのか」と嘆き悲しんでいるのが現時多くの信仰なきクリスチャンの現成なのであります。

わたしはこのような信仰をもっているクリスチャンを本当の信仰なき人間というのであります。

なぜならこのようなキリスト教徒か神を信じているように見えているけれども、「人間を神の像(すがた)に完全無欠に創造(つく)り給うた本当の神」を信じないで、いつの間にか戸籍謄本を書きかえ、本親のような顔をして、「本来無罪の人間」を「罪あり」と恐喝している継母の神を本親だと思っているからであります。

信仰というものは、なんでもかでも信じさえすれば「信仰がある」というわけではありません。

本当の親神を信ずるのが本当の正しき信仰であります。


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