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Web誌友会 板/2

2838a hope:2013/09/20(金) 23:06:57 ID:dyDQLtZQ

>>2826 ユタカさま

P、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。

この箇所はわたしも赤線が引いてありました!

実は、わたしは今朝、第7章(p172〜)を久しぶりに拝読しなおしたのですが、そこには、
今、少し悩んでいた事に対するぴったりの内容が書かれていて驚きました。

今回だけではなく、本当に「生命の實相」を開く度に、その時に求める答えが必ず書いてあるので不思議です。

実は、わたしは、私生活であるボランティアをしているのですが、今回また依頼が来まして、そのボランティアで受ける仕事がわたしにはちょっと難しくて負担に感じていたのです。

でも、自分は「人助けをしなけらばいけない」という義務感や、「社会的によわい立場の人をを救ってあげるのがわたしの使命なんだ」というような、自分があたかも相手よりも強くて高い立場に立っているような気持ちがわたしにあったので、悩んでいたのです。

それが、今朝拝読したところに、どんぴしゃりと、そのわたしのいやらしい心を見透かされてような雅春先生のお言葉がありました。

『谷口 ―― この「救う救う」といいますけれども「救ってやる」という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。・・・』


この御文章を拝読して、本当に驚きました。
そして、そのことに気づかせていただけたことに心から感謝しました。


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