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Web誌友会 板/2

4260a hope:2014/09/03(水) 09:38:52 ID:cEpBaIdo

>>4247のご投稿文を再掲します。

―――――――

4247 :a hopeさん:2014/09/01(月) 02:55:26 ID:zTvAOV2w
①自然破壊等の現象世界の出来事も見つめられていて、人間の罪を肯定してしまっているのです。

②『雅宣先生の教え』では「人間よ自然破壊するなかれ」と、
「人間が自然破壊した」という現象の出来事を認めてしまっているのです。

③一方、『本来の生長の家の教え』は 「人間が自然破壊する」という現象の出来事を完全否定して、
実相世界の完全に調和している状態しか認めていません。

私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。
環境問題に特化した総裁、と云うように外界の現実を見るから、二元論の総裁という判断をしているのでしょう?

――――――――

わたしは、先月までこのweb誌友会テキスト「生命の實相」をもとに、「悔い改め」(生まれ更わり)についてお勉強してきました。
そしてこの「悔い改め」には旧我(偽我)の否定、と新我(真我)の肯定が必要だと知りました。

完全円満な実相世界の立場から観れば、「環境破壊し続けている人間」というのは明らかに旧我(偽我)であり、
妄想であり否定しなければならない存在です。

そして、本当の「悔い改め」には「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」の肯定が必要だということになります。


ですから、本来の「生長の家の教え」によって、環境問題に対応した運動をしていくのであれば、
この「悔い改め」真理を応用すればいいのだと思います。

それには、やはり「環境破壊などすることのない自然と大調和している人間」=「神の子人間」の実相を礼拝することが基本だと思います。


ですが、雅宣先生の運動を拝見していると「人間の実相礼拝」よりも「現象の自然」を礼拝しているように見えてしまうのです。


<<私の疑問は、③の実相論を信じる方が、①,②のような総裁の存在を肯定していることが、分からないということです。>>


わたしは、雅宣先生の存在自体を虚説だと思っているのではなく、雅宣先生の教えと運動の仕方が本来の「生長の家の教え」ではないと思っているのです。


今まで何度も発言してきましたが、雅宣先生の存在自体は、信徒に本来の「生長の家の教え」とは何かを考えさせてくれるためにあらわれた、
ありがたい大観世音菩薩さまだと思っています。


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