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Web誌友会 板/2

2880復興G:2013/09/22(日) 07:15:06 ID:AB6RqYXc

 おはようございます。ありがとうございます。

>>2872 :a hope さま

>> 『雅春先生もお悟りになる前は、たとえ慈悲の心を起こされても家族すら救えなかった』 ということは 「慈悲の心」 にも段階があるということですね! <<

―― 「慈悲の心」 に段階がある というより、 「慈悲の心」 に 「正しい智慧」 を伴わないと人を救うことはできない、ということではないでしょうか。

 「正しい智慧」 とは、般若の智慧すなわち 「色即是空」 (物質はない、肉体はない、現象はない) ただ神のみ、仏のみ実在すると知り、心の法則を正しく使える智慧です。

 愛と智慧とは車の両輪のようなもので、どちらか一つでも欠けるとうまく走れない、ということではないでしょうか。

 こう言うと僭越に聞こえますね。谷口雅春先生も初めは智慧が欠けていて迷ったあげくに悟りを開かれたというように聞こえますが、そうではなく、

<<迷う心も無いから、悟って仏になる心もない。迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。ただ初めから仏であり、神である 「実相の心(われ)」 があるだけである。その実相の心が展開した実相の天地があるだけである。浄飯王(じょうぼんのう)の王宮を出て、伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、菩提樹下(ぼだいじゅげ)に六年静思して初めて悟りをひらいて仏となったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。

 『法華経』 の中で、釈迦自身が、

 「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫(なゆたこう)である」 と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。その久遠の仏が今ここに生きているのだ!

 十字架上に磔けられて、「神よ、神よ、なんぞ我れを捨て給うや」 と哀号(あいごう)したイエスは本来無かったのだ。永遠の神性――「アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通し」 とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。

 自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。>>(自伝篇より)

 というのが真実 実相なのでした。そして、このお悟りに到るすべてのことが、闇ではなく、光が現れんとする過程の尊いご体験なのでした! ありがとうございます!


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