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Web誌友会 板/2

3509復興G:2013/12/24(火) 21:06:28 ID:AB6RqYXc

曳馬野さん

>>3461で私が質問しました
>>禅では師なり古人の示しを弟子がそうであったと証明して法の継承がされています<<
>>その指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか<< (<<3455)
と言われる禅の世界での 「証明」 について、具体的に教えて下さい。 <<

の質問に、お答えはいただけないんですか?


さて、皆さま
>>3489>>3490のつづき
<< 谷口雅春先生特別御講話 「菩薩、何を為すべきか」 と題されたカセットテープ(「實相研鑽会」<地方講師・光明実践委員の相互研鑽会> での御結語を収録したもの>>
の続きを拝聴し、本当に素晴らしい御講話だと、深く感に打たれています。
これで行かなくてはと、肝に銘じつつテープ起こし(録音筆写)してお伝えします。

          ○

 谷口雅春先生特別御講話

  「伝道とは愛の実践」 つづき

 ――それにはやっぱり、正法(しょうぼう)すなわち真理を知らなければいけない。

 人に深切をすると言っても、真理でない深切をしたら、かえって気の毒なことを起こすかも知れない。物質で深切をする、あの人に何かあげたいと思って、カメラならカメラを、この頃流行の、シャッターをチャッと切れば自動できれいに写るという素晴らしいカメラが出てきたから、あの人にあげたい、と思ってそれをあげたら、それは相手によって、いい具合に使われるかも知れないけれども、あるいはその相手の人が、カメラマニアになっちゃって、仕事も何もほっといて写真ばかりに没頭して――というようなことにならんとも限らんわけでですね。これは相手にふさわしいものを与えなければならない。

 そのためには、やっぱりわれわれが常に神想観をして、宇宙の最高の智慧と一つになって、自分の行うことが神様の智慧によって導かれているということにならなければ、間違いを生ずるおそれがあるですね。

 そこで吾々は、神の智慧と、愛とをいただいて、更に神の生命を、無限の生命を、無量寿の生命を、そのいのちを相手に与えるアンテナになることですね。

 神想観は、宇宙の神様が人類に対して真理を放送し給うところの、自分がアンテナになることですね。自分が真理を伝えるんじゃないんです。だから招神歌には 「わが業はわが為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」 と示されているのであります。

 自分が神想観をして人を救うんだというのは傲慢な心であって、そうじゃないんです。自分は神様のアンテナになって、神様の真理を増幅する、増幅アンテナになり、さらに神様の無量寿のいのちを全人類に伝えるための放送アンテナであるという素晴らしい自覚をもって、神想観をする。その時に、その神想観が力を発揮して、ブラジルへもアフリカへも、その伝道が通ずるということになる訳なんであります。

 ともかく吾々は、愛と智慧とが伝道にも働かなければならない。利己主義では本当の伝道にはならんのでありまして、<自分よかれ> ではいかんので、<相手よかれ> という心が根本になければ、本当の伝道にならんわけです。
<つづきます>


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