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Web誌友会 板/2
3590
:
志恩
:2013/12/30(月) 07:19:05 ID:.QY5jUA6
皆様へ
楽天ブログに「山岡鉄舟の臨終の見事さ」という文章が載っていました。
鉄舟は、涅槃の時を悟り、身を清めてから正座して、家族や、彼のもとを訪れた勝海舟に
穏やかに 別れの言葉を告げ、その後、「坐亡」されたのでした。
鉄舟は、胃癌だったそうです。
東郷平八郎は、喉頭癌だったとあります。
昔は、鎮痛剤も今のようには 進歩していなかった時代でしょうから、
武士道は、我が身を襲う 末期癌の痛みにも 強かったのでしょうか。
すごいことですね。
この鉄舟の武士道は、仏教から得た、とありました。
http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/8001/
生長の家にも、
使命を果たされた後、穏やかに「坐亡」された本部講師がおられますことは、
生長の家のお方ならどなたでも、ご周知のとおりです。
榎本恵吾がそうでしたよね。「坐亡」されたお方でした。
榎本恵吾先生は、
平成17年7月12日、
3時まで神想観の先導をされ、部長会議にも出席され、その日の仕事を終えられた榎本先生は、ご帰宅。
不調を訴えられて、市内にお住まいの三女・四女 を呼び寄せられ、すぐに一子奥様もご帰宅。ご家族と居合わせた藤原職員とで、聖経を読まれました。
その後、駆けつけた祈願部の畑本職員に翌日の神想観先導に関する指示をし、「聖経を読んでくれるかね」と自宅に招き入れた。
そこに、なんと服部仁郎先生自筆の人型が届いた。
実は、榎本先生はお若い時に服部先生に学ばれ、先日の教修会で 服部仁郎先生自筆の人型を持っているという古くからの信徒さんに、
コピーさせてもらう為に送ってもらう事を お願いしておいたのそうです。
しかし送られてきた日、時間はまさに、その日の その時間であった。
榎本先生は、「祈願に携わる者にとって こんなに喜ばしいことはないねぇ」と、心から喜ばれたそうです。
そして引き続き聖経「甘露の法雨 」を家族とともに読誦。最後に「實相を観ずる歌」を皆で音読。
その直後、姿勢を正されたまま、『坐亡』されたのでした。
ちなみに、
徳久克己本部講師は、現場を離れて、1時間後くらいに亡くなられておられるそうですし、
藤原敏之先生も、ご自宅で眠るように大往生されてますし、
平岡初枝先生も、そうですし、
私の存じ上げている人類光明化運動に生涯挺身された大先輩の生長の家の先生方は、ご臨終の折りも、皆様 見事でいらっしゃいました。
やはり、生長の家でも、仏教でも、キリスト教でも、
道を極めた方々は、ご臨終の時でも、共通している見事さが、ございますね。
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