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Web誌友会 板/2

4302a hope:2014/09/12(金) 09:06:53 ID:cEpBaIdo

少しテキストの内容を進めたいと思います。

「生命の實相」第14巻 p57 9行目〜

「生長の家」倫理学の特色といたしますところは、存在を「実相(ほんとうにあるもの)」と「仮相(まよい)」とに別けることであります。
そして「実相」だけが存在するのであって、その「実相」は完全であるというのであります。
例をあげていえば、人間に結核病を惹き起こす毒物としての結核菌は、それは仮相(かりのすがた)であって実相ではないのであります。
この場合、われわれが仮相(まよい)の結核菌を認め、許し、それに触れ、それを培養することにすれば、われわれ人類は滅びるのであります。
なせなら「仮相(まよい)」を実在だと思ってこれに和解し「仮相(まよい)」をことさらにのさばらせれば、実相はますます隠れるほかはないからであります。

ところが、神は結核菌を人間を害するようには作ってい給わないのであります。
結核菌は人間に対して無害に造られており、実在の世界においては、人間と結核菌とは調和して互に生かし合っているのであります。
調和が実相であって、「実在する結核菌」の本当の相(すがた)なのであります。
それで「結核菌と和解する」とはこの本当の姿を認めて、その心の投影(かげ)として自然に結核菌と人間とを互に相侵(あいおか)さない状態に至らしめるので、
われわれを害する「仮相(まよい)の結核菌」を認め、それに栄養を与え、培養するということではないのであります。
大体、「仮相」というものは、あるように見えても本来無い――「無いもの」と和解のしようがないのであります。
それでわれわれが和解するとは、ただ「本来あるもの」と和解するほかはない。
それでわれわれが、「天地一切のものと和解せよ」という場合は、
仮相(まよい)――われわれに対して毒性または敵性をもって顕れているウソのスガタ――に和解するのではなくて、
実相(すなわち、われわれと本来調和し、われわれと互に生かし合っているそのものの内性)と和解することなのであります。


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