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Web誌友会 板/2
3325
:
a hope
:2013/11/17(日) 16:15:50 ID:/9IAdiFk
復興Gさま トキさま みなさま こんにちは
ひたすら聖典「生命の實相」の拝読に励む a hopeです。
今月は、第六巻が範囲なので、第六巻を読み返していてちょっと疑問に思ったことがあったので質問させていただきます。
「生長の家の教え」は、自己内在の神(内在のキリスト)を祈る、
つまり「実相礼拝」する教えであることは、今までお勉強してきたので頭では充分理解しているつもりです。
ですが、一方、「生長の家」の祈りや神想観やの中には『日本国実相顕現の祈り』や、『住吉大神宇宙浄化の祈り』のように、
「住吉大神あれましぬ。住吉の大神あれましぬ。」「住吉の大神出でまして宇宙を浄め給う…」
「住吉の大神ここにあつまれるすべての人々の生命を浄め給う」というように、
あたかも、住吉の大神さまが自分とは離れた存在(絶対的存在ではなく、相対的存在)であり、
宇宙浄化やわたしたちの生命浄化をしてくださるという表現がされているのがとても気になるのです。
わたしが、なぜこの事に疑問をもったかというと、今回のテキストの中のある文章を拝読したからです。以下謹写させていただきます。
(つづく)
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