したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

5755曳馬野:2015/09/22(火) 20:53:25 ID:JPiKJZkg
>>「実相世界が創造される様子を多少なりともイメージできるような表現をしてもらわなければ反論のしようがないということです。」


理想的な良いものばかりの世界という説きかたが生長の家でされますが、禅ではあるままの姿をして実相としているように思われます。因縁の法で物事が出来上がっているので、善悪の判断以前の物事そのものを実相と云っているようです。

この意味では実相の意味する物が違っているようです。五官に触れた瞬間には其の儘のものに触れているのを、一瞬の後に念のオブラートで隠したものを認識作用の上で理解している、そんな意味では「70億の人類に70億の宇宙あり(70億の人類が70億の夢をみている)」と言えると思います。

「心の影」と云うのも同じ現実はある一瞬においては世界中唯一つであるけれども、一瞬後には各人夫々の念のレンズを通して意味づけしたものとして認識しているのです。物事があるというけれど、ある瞬間の結果としての生成流動そのものでないでしょうか。記憶の中にのみ物事は存在するもので、前後裁断された善悪などの判断の入る余地のないものみたいです。ですから心の影と云いましても心によって作り出されたものという意味と、心によってそのように認識しているという二つの意味があると思います。

「人は自分と同じものを相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを見るのではない。自分の心を相手と云う鏡に映してみるのである。」と言われているのですが、お前の環境はお前の所為だというように責任の所在を知らすための真理ではなく、環境を見ていろいろ感じるのはそのように感じる心を持っているのだから、嫌な奴などと感じるその心を考え直せ、という意味でしょう。

教団の在り様を見れば総裁の心が分かるなんて言う意味での心の影というものではないでしょう。でないと継母にひどい扱いを受け長じても心の傷云えず悲しむべき運命に泣いている人の個人指導に、それでさえ感謝できるものを探して感謝しなさい、ということができ感謝の結果よき状態になったというがごときは説明できません。感謝の心少なき結果としてそのようになっているのであって、継母の心が冷たいのではないということを表す真理として説かれているのでしょう。

しかしこれはどちらからもいえる真理ではあります、裁きの為の真理ではないということですね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板