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Web誌友会 板/2

2624復興G:2013/08/17(土) 21:33:13 ID:AB6RqYXc

 生長の家の生き方は、未来のために「今」を手段にするような生活ではない。

 「今」 の中にすべてがある。「今」 をよろこぶ生活、「今」 を本当に生きる生活。未来に目的があるのではなく、「今」 に目的を置く、「今」 を生ききる生活。

 「天地(あめつち)のはじめは今をはじめとする理(ことわり)あり」

 その 「はじめ」 は、「はじめ」 「終わり」 を超越した、「絶対のはじめ」 「絶対なるはじめ」 ということ。

 時間も空間もまだ現れていない、「未発の中」 なる 「はじめ」 即ち 「一」 なるところである。

 おのれを無にして、カラッポの、消え切りの、澄み切りに還ったとき、自ずからそこに還るのである。

 そこから、次のような自覚が生まれてくるのである。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『日々読誦三十章経』より
  六日の経言(のりごと)

     人生に主となる言葉

 吾れは今、吾が本性が神とまったく同体であることを悟ったのである。吾れは神が渾(すべ)てであり、従って神以外に何物も此の世に存在しないことを知ったのである。

 神は渾ての渾てである。だから吾れが苟(いやしく)も存在する限り神と吾れとは一体なのである。吾れは存在する、それ故に吾れは神と一体なのである。神と一体なるが故に、吾れは神の本性よりその善きもの一切を賦(わか)ち与えられているのである。

 神の有(も)ち給う総(すべて)の物を吾れも亦有つのである。此の深き悦びに吾が心はわなないているのである。吾が心は深き聖悦に満たされているのである。神は全能である。それ故に吾れも亦全能なのである。吾れは凡てを知る智慧によって導かれているが故に、吾れも亦全智なのである。神は疲れたまうことなく、倦み給うことなきが故に、吾れは決して失敗も疲労もないのである。

 吾れは神が必ず吾が力を新たならしめ給う事を信ずる。吾れは神に吾自身をうちまかす。それ故に金剛囲山(こんごういせん)の動かざるが加く、吾が心も不動である。

 吾れはいま他の人たちの偏見や非難や時代の伝統から全然自由である。吾れはいま自分自身の判断と自分自身の標準とをもつのである。

 吾れは人間である。人間は神の子である。されば吾れは人生の主である。吾れは他の人々に人間は斯くあるべきだとは言葉では語らない。吾れは吾が生活を以って人間は斯くあると行じ示すのである。

 吾れはいま、自分の全意識の解放を得て歓喜勇躍の感に堪えない。自己が神の属性を賦(わか)ちもつと云うことが歓びでなくて何であらうぞ!

 吾れは永遠である。吾れは本性に於て神とは分ちがたきものである。吾れは真理である。吾れは生命である。吾れは智慧である。吾が実相は完全であり、神は完全である。それ故に吾れは此の完全さを日毎日毎に発揮するのである。

 吾れは生ける神の子である。吾れ今此の真理に目覚めしめ給いしことを感謝し奉るのである。


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