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Web誌友会 板/2

2588復興G:2013/08/16(金) 22:20:21 ID:AB6RqYXc

 今回のテキスト『生命の實相』第4巻p.53〜 には、次のようにありました。

≪日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。

 日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと同様であります。

 国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜(たまもの)でもあります。

 この恩この賜の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意志などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定ということになって、これは神の道――人の道ではないのであります。≫

 谷口雅宣総裁は、「多様性の中に神を見る祈り」 の中に次のように示されています。

≪ 生物は単細胞生物から発して多細胞生物へと進化し、菌類や植物や動物が出現して、さらに多様化、複雑化が進んでいるのである。しかも、それらがすべて生物圏全体の調和と安定に支えられながら、自らも生物界の調和と安定を目指し、また自ら調和と安定を担っている。これらはすべて、神の無限性が有限を通して現象界に展開する姿である。

 人類も単一の種でありながら、多様な種族、民族、国家へと分化、発展しつつあるのである。人間はみな神の子であるから、現象世界に現れれば複数の個性となり、多様な民族となり、互いの調和を求めて努力するのである。唯一絶対にして無限の神があるから、現象界には必ず複雑化、多様化、調和への動きが現れるのである。このことを深く知れば、「神の子」としての人間の生き方も、おのずから神の自己表現の展開に倣うことになる。≫

 ―――世界の国々も「多様性」を発揮して調和への動きが現れる。ならば、日本は日本の個性を発揮することによって、「神の無限性が有限を通して現象界に展開する」ことになるので、「鎮護国家」を外すことは国の多様性を否定することになるのではないか。雅宣先生の祈りからしても、「鎮護国家」はそのまま大切にすべきだと私は思うのですが・・・・


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