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Web誌友会 板/2
4125
:
a hope
:2014/07/19(土) 09:33:00 ID:cEpBaIdo
『人格の自由と「認め」の倫理 』p183
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/3029
(a hope 所感)
よく真面目に親の言うことを聞いて育っている人のことを、「お前は親のひいたレールを走らされているだけだ」と揶揄することがあると思いますが、
その場合、その人自身に人格の自由がなくて「親のひいたレールの上を走っている」場合と、
人格の自由を持ちながら「親のひいたレールの上を走っている」場合があるのではないかと感じています。
それは、不満だけれど仕方なくいうことを聞いているのか、それとも、親を信頼して喜んでしているのかの違いだと思います。
後者の場合であれば、たとえ親のひいたレールの上を走っていても「人格の自由」は認められているのではないでしょうか?
信仰にしても同じだと思いました。
わたしたちは神さまのひいたレールの上を走っている時、自然に不安が消えてすべてがうまくいき、おのずと喜びや満足感が湧き上がってくるのだと思います。
光明掲示板でわたしをご指導くださった明鏡さまのお言葉をみなさまに紹介させていただきます。
<<本来、信仰とは、信ずれば信ずるほど、心が幸せになり、安心してゆくものですが、
信ずれば信ずるほど、不安になるものを “ 迷信 ” といいます。>>
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1743&submitlog=1743
みなさまのお幸せを心よりお祈りします。 合掌。
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