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Web誌友会 板/2

656復興G:2013/04/18(木) 17:28:29 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 半折に揮毫しつづけられる総裁のために、我が家の家族と本部員の二、三人は墨をすり、私は朱印を押して、指を痛くしていた。

 総裁は地方巡講から帰京して、雨の日は原稿を書き、晴れた日は半折の画箋紙に大筆をふるって居られた。痩せ形の身を前屈みにして、大筆は長時間、画箋紙の上を走りつづけていた。その部屋も、次の部屋も、廊下にも、墨痕あざやかに墨の香りが満ちていた。六十歳を過ぎた人には重労働のように思えた。来る日も来る日も働きつづけて居られた。あの生長の家本部会館の建築費のために。私は夫の後姿を見て「御苦労さま、御苦労さま」と合掌した。

 誰のために建てる本部会館であろうか。谷口雅春の住むための家ではない。信徒みんなの集る家なのであった。信徒みんなとの、いろいろのことを連絡する事務の家でもあった。みんなのための家であった。

 建築中は、東郷神社境内の隅っこを借りて、清水組は飯場を建てていた。その飯場には百人ばかりの職人が出入りしていたと聞いた。百人の中に、生長の家の信徒が四、五人いた。赤見元二郎君はその一人であった。

 赤見君は毎朝五時に起きて飯場を出てその四、五人の友と建築現場に立った。瞑目合掌したそれらの人たちは、ひたすらに、その建築がスムーズに進行し、一人の怪我人もなくて完成に到りますようにと祈りつづけて居られた。あれほどの大建築中に、一人の死者も怪我人もなかったことは珍らしいことだったと私は聞かされた。わずか四、五人の人の祈りでも、真心からの純真な祈りは諾かれるものだと信じた。

 総裁の無欲恬淡な献身と信徒たちの純粋な献身とによって、生長の家の本部会館は、原宿の一角に美しく凛然と落成の日を迎えた。

 落慶式の日は、全国各地より信徒の幹部が集ったばかりでなく、教団外の団体の代表者なども来会されて、温い祝辞を述べて下さった。誰も彼も、明るい喜び溢れる顔をして、新築の美しい建物の中を右往左往して動いていた。信徒たちは、私の顔を見ると「お芽出とうございます。有難うございます」の喜びの声を浴びせかけた。私はうれしくて浮々としていた。(以下、略)

  (「人それぞれ」『理想世界』昭和56年6月号より)

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

※ この本部会館は「落成式典」ではなく、生長の家の大神に対して、この会館を捧げるという「捧堂式典」として挙行されている。神様に捧げたものを勝手に壊すのはいかがなものか。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 ――以上は、ある友人から送られて来たアピールの文章を転写させていただいたものです。

 雅宣総裁の「唐松模様」も拝読して、皆さま、どうお考えになりますか。ご一緒に考えてみたいと思います。


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