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Web誌友会 板/2

1954復興G:2013/06/12(水) 21:53:26 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

■ 課題 ② 2.26事件に光を当てる ・ 歴史から「今」を学ぶ について

>>1746>>1747:a hope様の、よくよくお考えになっての、率直ですばらしいご投稿に、心から感謝いたします。

ご投稿に、詳しいレスを差し上げるとお約束していましたが、申し訳ありませんが、“詳しいレス”はパスさせてください。

>>1751で私は、

>>いま現象界では、『生命の實相』の著作権・出版権をめぐる裁判に決着がつき、教団側の敗訴が確定した。
学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。
しかし私は、今回のテキスト『生命の實相』第3巻の御教えを かみ締めながら2.26事件のことを教訓として学び、はっきりと自覚いたしました。
このような混乱の時こそ、「正念場」である。
≪ 「神は完全であって、神の造り給うた世界には、混乱はナイ」 という実相を観ずる 「正念」 をもって、しっかりと起たなければならない時である≫と。

2.26事件からその教訓を学びましょう。――<<

と書いていました。

これについて、
<学ぶ会など「本流派」の方たちは、今こそ「雅宣総裁を辞任に追い込め」と、ある意味で「決起」を呼びかけておられるように思います。>
というところは、撤回させて頂きます。
「学ぶ会」では、上記のような路線は変えておられるようですので。

しかし、一般論として、2.26事件の決起将校たちのような、動機は「貧しい農民を救うため」「天皇陛下の御為」と思ってのことであっても、殺人というような手段を使っての決起は、目的とは逆の結果をもたらす、という教訓を与えていると考えられるでしょう。

しかし、「光」を当てて見れば、結局は日本敗戦という結果の後に、目的は達せられたと言える。だから、何事も無駄ではない。すべて、

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。(『幸福を招く365章』の117頁〜)

         ○

 ということになるのだと思われます。


さて、
≪天佑なき戦争は、将来絶対にしないことを誓わねばならぬ。その反面に、戦う時は必ず天佑のあるようにこの国政を運用すべきである。≫

と言われる橋本徹馬氏の自叙伝の言葉から――。

「天佑(てんゆう)」は、「天佑神助」とつづけて使われることも多い言葉で、天=神、 佑=助け ですから、どちらも「神の助け」ということですね。

神の御心に一致し、神の波長に同調する行動、即ち無我の愛の心をもって、真に人を生かす行動をすれば、天の助けが得られるということでしょう。


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