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Web誌友会 板/2

476a hope:2013/03/08(金) 22:14:43 ID:TqpbsVIM
前夜祭において、>>459で復興Gさまが、

『私は、まずテキストp.168(>>453)の
≪本来の人間は「知恵」においても「富」においても「生命」においても本来無尽蔵です。それは水脈が神に通うているがために、必要に応じて汲めども汲めども水のつきぬ井戸のようなものでありますのに……≫
というところ、「人間はみな、本来(すでに)無限を内に蔵している」ということ。これが根本実相の真理であるということ。だから、常にその自覚を新たにする「神想観」が大切である、と改めて深く感じ入っています。
そして――』

とおっしゃっていますが、わたしはその文章の前の部分に赤線を引いてありました。

P168
≪人間は神の言いつけを守らなかった――すなわち神をうたがった、その時にすでに人間は本当の自己を見る目が曇ったのであります。自己の生命は神の生命と一体であるから、知恵の果実(このみ)などで不足を補わなくとも無限の英知を蔵しているのです。それだのに知恵の果実を食べてもっとよけいに賢くなろうとしました。この態度には人間が、自己に埋蔵(かく)されている無限の英知を信ずることができず、外からの物に頼ろうとした不信があらわれているのであります。この不信ほど人間本来無限の自己を小さく限ってしまうものはないのであります。
 われわれに通じている無限供給の配水管に堰(せき)をしてしまうものは常にこの不信であります≫

普通の人間は、自分の生命が神の生命と一体である、なんてとても信じられなと思います。
だいたい、神すら信じていない人がほとんどなのではないでしょうか。
わたしも、ほんの少し前までそうでした。
ですが、「生長の家の教え」(聖典『生命の實相』)に出会い、運命がガラリと変わりました。
日常生活でどんなに嫌なことがあっても、「神想観」すると心が明るくなり、元気になります。
神と一つである自分の命を自覚するからではないかと感じています。
やはり、生長の家の信仰で一番大切なのは「神想観」なのではないかと個人的には感じています。


ところで、わたしも明日、仕事が早番なので、今夜はこれでお休みさせていただきます。
明日また参加させていただきます。

それでは、「生長の家」のみなさま、おやすみなさい。


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