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Web誌友会 板/2
3455
:
神の子さん
:2013/12/12(木) 22:25:33 ID:TUEhTkAQ
つづき
● とんぼ返りの諷示
普化(ふけ)和尚といふ支那の高徳の和尚が、大勢の弟子を集めて法話をして居ると、弟子の人々が、佛の御姿は何(ど)ういふもので御座りませうと
尋ね出した。普化和尚は即座に大衆の面前で、とんぼ返りをして見せて、佛の姿は斯ういふものぢや、解つたかといふと、大衆は唖然として一言も
發するものはなかつた。又、龍牙(りゅうげ)和尚といふ高僧も、是れと同じく、大衆より佛の御姿を見せて下さいと迫(せが)まれて、両膚を脱いで
半身をむき出して、佛の姿は斯ういふものぢやと示したことがある。衲(わし)が此処に説く所、畢竟普化和尚のとんぼ返りぢや、
龍牙和尚の両膚脱ぎぢや。何うぢや、分るかナ。
○雲門は糞掻き箆と言い、趙州和尚は庭前の柏樹と言いましたね
●拈華微笑の徹底
○雅春先生の無門関解釈では日本国体天皇の実相を説くものと云われている。
対して井上義衍老師の無門関では全く違う提唱がなされています。
● 叩門の瓦、指月の指
そこで此の書物は恰度門を叩くの瓦子、指月の指ぢや。錬膽の眞髄が分ったら、最う此の書物には用事はないぞ。
○『生命の実相』40巻その他真理の著書もまた叩門の瓦、指月の指、それを立脚点として本流派は立つ
● 鶏唱ふ家林の曉
○ 見性のまじかには何らかの気付きがある、そして悟後の修行これが大変、徹底した人は古人と云えど僅かです。
神想観して眼路の限り光明遍照となっても目を開けば、悪口雑言の人ばかり、何処に救われがあるのでしょうか。
●「心経抄」にしても、やはり 「門を叩くの瓦子、指月の指、家林の曉」 であろうと思います。現象の言葉で、
「これが悟りじゃ」 「これでなければならぬ」 と決めつけたら、もうそれは悟りでもなんでもない、執着にすぎないのではないかと私は思っています。
○その通りてすね、でその指し示す先にあるものに辿り着いた人が、禅にはいるが生長の家にいますか、とあなたを含めお聞きしているだけです。
つづく
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