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Web誌友会 板/2

4158a hope:2014/08/09(土) 18:01:33 ID:cEpBaIdo

本当の生まれ更わり(悔い改め)とは何か p5 後から1行目〜

○われは肉体的存在だと思っていた信念が、クラリ!と一転して、わが肉体的存在は仮相であって、
そんなものは実在ではないと知って、実相そのものに新生することが「新たに生まれる」ということである。
「天より降りし者」すなわち実相より生まれた人の実相(神の子)のみが神の子であって、
その実相の自覚に入ることが本当に生まれ更わるということである、
とイエスはいっているということはすでに述べたところであります。 


p6 後から4行目〜

○悔い改めよというのは、心をクラリと転向せよ、今までこれが自分であると力んでいた「自分」はそれは「本当の自分」ではなかった。
それはニセ物の自分であった、「本当の自分」は別にあった、それは「神の子なる自分」であったと悟る。
ここに完全に「われの転回(おきかえ)」というものが行われる。
これが悔い改めであり、新生であるのであります。


p7 後から6行目〜

○今まで罪を犯したということが本当に悪いとわかっているくらいなら、その報いをのがれようと思って小細工をしたり、
逃げようとしたりするものではないのであります。
その人がもし完全に悔い改め、すなわち「われの根本的置き換え」ができていましたら、
最後の審判を恐れるなどということは決してないのであります。
なぜなら「本当のわれ」というものは、火にも焼けず水にも溺れることのない金剛不壊のものだということを知ることが、
すなわち「われの完全な置き換え」すなわち「悔い改め」であるからであります。
だから最後の審判が恐ろしいようでは「悔い改め」ができていないわけで、
最後の審判を恐れて悔い改めよでは意味をなさないのであります。 
最後の審判を恐れるならば、火に焼け水に溺れるような偽存在のわれを捨てて、
最後の審判にかからないところの金剛不壊の「われの実相」を求めよということになって、
初めてここに首尾一貫した「なんじら悔い改めよ」の意味をなすのであります。


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