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Web誌友会 板/2
1661
:
a hope
:2013/06/07(金) 21:14:04 ID:edEDolt2
聖経「続真理の吟唱」より
〈如意宝珠を神より授かる祈り〉
わたしは〝神の子〝であると言うとき、それは神なる無限力がわたしに於いて具象化し、
現象的姿をもって顕われていることを意味するのである。
〝神の子〝は要するに〝神〝以外の何物でもないのである。
〝人間の子〝と言うとき、それは人間以上の何者でもないのと同じなのである。
それゆえに、〝神の子〝は神が応変自在、神通無礙(むげ)であるのと同様に、
人間も〝神の子〝を自覚すれば、妙智自在、事に応じ、物に応じ、人に応じ、
場所に応じて、迅速無礙に最も適当なる処置がとれるのである。
〝神の子〝は神の有(も)ち給えるあらゆる善き性質を承(う)け継(つ)いでいるのである。
神は愛であるから、わたしは神の愛を完全に承けついで、充分に愛深い人間なのである。
神の愛は偏りがなく、平等の愛であるから、わたしの愛も平等の愛であって、
決してある人を偏愛し、ある人には冷淡だということはないのである。
神は無限に完全であり給う。
それ故に実相に於いて、わたしたちは〝神の子〝として無限に完全なのである。
従ってわたしたちは実相に於いて病気に苦しんだり貧乏に悩んだり、色々の不調和に煩労することはないのである。
凡そ、〝神の子〝たる人間が病気するということは、実相に於いては無いのであるから、
もし病気がわたしたちの身体にあらわれるならば、それは夢を見ているのである。
凡そ、〝神の子〝たる人間は龍宮無限の富を自己の内に包有しているのであるから、
実相に於いてはわたし達は無限の富者(ふうじゃ)であり、貧乏に苦しむなどということはないのである。
それゆえにもし貧乏に苦しむようなことがあれば、それは実際ではなく、夢中に貧乏を見ているに過ぎないのである。
凡そ一切の不調和は、神のつくりたまえる実際の世界には存在しないのであるから、
その不調和は単なる夢に過ぎないのである。
わたしたちは、わたしたちの眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)の感覚にて知覚せられる一切の不調和を「有り」と観じてはならないのである。
それは五官の眼には「有る」かの如く見ゆれども、真実に於いて「実在」しないのであると積極的想念を思念する事によって否定しなければならないのである。
その思念による否定が強力であるならば、現象の不調和は一瞬にして消えはじめ、
ついに完全に、その不調和な姿は、本来の〝無〝の世界に没し去るのである。
わたしは今、積極的想念により、唯〝善〝のみ実在する世界を肯定し、
唯、調和のみ実在する世界を肯定し、一切の悪と不調和とを完全に否定し去るのである。
〝善〝の実在のみを肯定する想念を潮満珠(しおみつのたま)と謂い、悪の存在を完全に否定する想念を汐干珠(しおひるのたま)と称するのである。
われ今、住吉大神より潮満珠と汐干珠との陰陽二つの如意宝珠を授かり、
これを自由自在に駆使して神通自在に国を護り、世界を護り、家族を護り、自己を護り、
この地上に龍宮海そのままの住吉世界を実現するのである。
今われら大神の神護無限に感謝し奉り、大神の御心に副(そ)い奉らんことを契(ちか)い奉る。
ありがとうございます。
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