したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

1227復興G:2013/05/19(日) 10:16:06 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月二十七日 久遠皇位を胆(きも)に銘ずる日

  火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、火を着けて皇子をお生みになったのです。(『驀進日本の心と力』)

 生命(いのち)のひとつ流れの実相を把握するとき、眼の色は異り、皮膚の色は異るとも、八紘は一宇であり、一家庭であり、すべての人種ことごとく天皇の徳に帰一し奉ることが出来るのである。

 ナチスの血の哲学、民族の哲学はゲルマン民族の栄えのために把握されたる哲学であった。日本の哲学はそんな狭い精神でないのである。東洋民族よ聯合せよ! と云う東洋民族の哲学でもないのである。それはまだ血を見ている。血を見るのは皮膚の色を見ることであり、骨格を見ることであり、人種の差別を見ることである。人と人とを分割することである。

 外国の哲学はどんなに優れていても結局は分割に落着く。日本の哲学は包容帰一である。ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、何人種と言えども既に日本人である。「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。

     ○

 一月二十八日 一切人間を礼拝する日

  既に善があってそれが出て来る。その善と云うものが存在の本体であり、自分の本体なんです。(『驀進日本の心と力』)

 善とは外から縛る囹圄(れいご)ではない。吾々の生命の本性が善なのである。吾々の生命の本性が善であるが故に、善は内から一種の否定すべからざる圧力を以て迫って来、吾々をして善を為すように強制する。この力を倫理学者は当為(Sollen)と名附けた。若し善の内圧を拒むならば、吾々の生命は苦痛を感じ、苦悩を感じ、その苦痛苦悩を表面にあらわして、それは吾々の肉体に色々の具体的病気として表れる。

 病気は抑圧されたる「善」への衝動の悩み苦しむ有様だとも、「善」が実現せんとしてまだ空虚の状態であるとも言い得る。従って、「善」を為すように勧めることによって病気が治った実例は沢山ある。生長の家へ相談に来て病気が治って帰る人々の殆ど全ては善を為すように勧められ、善を為さんと決心し、抑制せられていた「善」への衝動が解放される故に治るのである。

 すべての善のうち最も大なるものは中心に帰一する心をもつことである。子は親に対して、妻は夫に対して素直に随順感謝するとき病気が不思議に治るのである。

     ○

 一月二十九日 心朗かなる日

  病気は自己を顧る好機会だ。顧みて迷を去るものは幸いなるかな。(『生命の實相』第五巻)

 心朗かなれば病はない。他を憎まなければ病はない。悲しまなければ病はない。物思いに沈むことなければ病はない。怒ることなければ病はない。気づつないこと、見栄を飾ることなければ病はない。不平に思うことなければ病はない。呟くことなければ病はない。ひとから同情して貰おうと思うことなければ病はない。病気になって都合よしと思うことなければ病はない。家に争いなければ病はない。仕事を嫌うことなければ病はない。隠す心なければ病はない。羨(うらや)ましく妬(ねた)ましく思うことなければ病はない。

 心暗ければ病生ず。陰気が強くなるはすべての悪の中の悪である。心明るき悪人は、心暗き善人に打ち勝つものである。心暗ければ本当に善の資格はないのである。人を愛すれば病はない。すべての事物を愛すれば病はない。愛するとは深切丁寧に心掛けることであって、執着してその人または事物に巻き込まれて心が顛倒することではない。

 心顛倒するは智慧が欠けているのである。智慧欠けるは深切丁寧が欠けているのである。
<つづく>


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板