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Web誌友会 板/2

4361a hope:2014/09/22(月) 13:08:41 ID:cEpBaIdo

>>4355つづき p34 後から3行目〜

これを例にあげて説明するならば、「全体の生命」とは一個の時計の生命と同様な訳であります。

一個の時計の生命は仮に時を精確に計ることにあるとするならば、時計の各個の構成部分が、
この時計全体の生命の中に溶け込むということは、時計の各個の構成部分が(たとえば歯車なら歯車が)
その個性を精確に発揮することであります。

すなわち、一個の歯車は、その歯車としての個性――すなわち、歯の刻み方が正しく、温度によっても直径を増加せず、
精確なる速度で一定の方向へ完全な回転の仕方をするという個性――を完全に発揮することが、
時計の生命の中に歯車の個性を溶かし込むということになるのであります。

歯車の個性が発揮されればされるほど、時計の全体としての生命はいっそう完全に発揮されます。
だから、この場合は、歯車の個性を全体の生命の中に没し去るという語は当てはまらないのであります。
個性を没し去るのではなく、個性を生かせば生かすほど全体の生命に貢献することになるのであります。

右廻りの歯車はできるだけ完全に右廻りに廻転するのがよく、
左廻りの歯車はできるだけ完全に左廻りするのがよいのであります。
右廻りの歯車がその個性を没して、停(とま)ってみたり、左廻りになってみたりするのは、
全体の生命を生かすことにはならないのです。

このことがわかるならば、芸術においても、個性を生かした作品ほど、
その作品に全体の生命(普遍的生命)というものが生きているということになることがおわかりになるでありましょう。


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