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Web誌友会 板/2
6063
:
a hope
:2015/12/21(月) 12:35:49 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第23巻 p138 後から5行目〜
「しかしいくら肉体は痛くないと思おうにも痛いのは事実です」などと言われる方がありますが、そういう方はまだ「心の痛み」ということが本当に分かってはおられないのです。
心の痛みというのは肉体にあるのではい。
それだのにそういう方は「心の痛み」と言っても、その痛みというのは肉体の痛みを指して言っているかのように考えて、「この肉体は痛くないと思うと努力しても痛い」などと言われるのです。
それはまちがいです。
肉体を離れて心に着眼点をもってこなければならない。
それでは心の痛みとは何か?
家庭の中の不調和とか、人を憎む心とか、口惜しい残念だとかいう心、妬む心、癇癪を起こす心、これらが要するに心の痛みなのです。
腹が立ってどうしてもそれが制しきれないということが往々ある。
それも心の痛みです。
あるいは愛する子供や親を失って悲しみに暮れるということもある。
これも心の痛みです。
子を失う人の痛みは、われわれにとって最も大きい苦痛です。
その苦痛の蓄積の後に神経痛を起こす人もある。
この肉体は死んでも本当は人間はしなない生きとおしの生命であると知ると心の痛みが次第に癒えてくるのです。
そういうふうにして心の痛みが根本的にとれてしまったら肉体の痛みはすぐになくなってしまうのです。
こういう意味で肉体がいたいのではない、というのだと言いますと、それでも痛くないと思っても事実痛いものを、と言われる方は、まだ肉体を指さしておられるのです。
肉体に痛みはないのですから、その時省(かえり)みて、自分の心にある悲しみ、憎しみ、恨み、嫉み、というような心の痛みを、すっぱり捨ててしまった時、肉体の痛みも忽然と治るということになるのであります。
だから、痛いというのは、この肉体が痛いのではない、神経が痛いのでもない、ただ痛いという念が痛いのであります。
ですから、この肉体から念というものを奪い去ってしまった時に、もう肉体はなんの苦しみも痛みもなくなってしまうのです。
だからこの一節には「『念』全く去りたるものを死体と云う。汝ら死体が痛みを感じたるを見しことありや」と書いてあるのであります。
この肉体はまったく念の影なのでありますから、われわれが健康を念じたら健康になり、病いを念じたら病になるのであります。
それでは健康を念じさえすれば、癇癪を起こしてもどうしても健康でいられるかというとそうではない、われわれの念そのものがいつも健康な状態であることが必要なのであります。
念が健全だということは、痛いということを念じまいとすることや、健康健康と、その肉体の健康だけを思うことではない。
念そのものが大調和の状態になることであります。
普段はどうでも神想観の時だけ、健全な心になって念ずるなどというのは駄目で常住坐臥(じょうじゅうざが)に健全なる、大調和の念を持っていることが、すなわち健康を念ずるということになるのです。われわれが常に神の子の念を持つ。
これによって健康を生ずるということになるわけであります。
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