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Web誌友会 板/2

1472復興G:2013/05/29(水) 22:44:55 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

髪の子様が>>1426に「心のかけはし」誌から転載してくださったご文章を拝読して感じたことを書かせて頂きます。

<<今や乾坤は一転する。……我が妻は光定君その他が、その霊覚で見たるが如くそのままに観世音菩薩なのである。そして私自身は多くの誌友が見たるが如く塩椎神そのものである。>>(谷口雅春先生のお手紙、『こころの旅路』<谷口恵美子編著>より)

私はこのご本を書庫から出してきて拝読しなおし、谷口雅春先生を雲の彼方にいらっしゃる遠い存在ではなく、身近なお方として敬愛の念を深めました。

 上記は、昭和十七年一月三十日付けで、谷口雅春先生がご巡講先の長崎から東京にいらっしゃる輝子奥様へ送られたお手紙なのですね。その、上掲のご文章の続きには、次のように書かれています。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 白鳩大会が終つてから、白鳩の幹部婦人達十五名ばかりが挨拶に来た。癩病を二人治したと云ふ飯塚さんの話をきく。どうして治したかと云ふと

『癩病なんて無いんですよ。心の悩みも無いんですよ。既にもう無いのですよ。無いものをアルと思つてゐるだけですよ。明日はもうスベスベの顔になつてゐますよ。』

――ただそれだけである。驚くべき信念ではないか。

 私の説いた其の儘をそのままに信じて治るのは、馬場久さんでも三浦くにさんでも、この飯塚さんでも、まつたく同じことなのである。『自分を捨てなければならない』とか『まだ悟れない自分がある』とか、反対に『迷』の方をつかんでそれを浄化して『行かなければならない』とか、まるで『悪』や『不浄』をアルかの如く取り扱つたところに大なる自己不認識があつたのです。

 自分は観世音菩薩なのだ。反省すべき欠陥も既に無いのだ。浄むべき欠陥も既に無いのだ。そんなものははじめから神がつくらないから無いのだ。飯塚さんが癩病を治したやうに、眼に見える世界に、癩病のやうなクズレが見えてゐようとも、また誰かに悪の欠点が見えてゐようとも

 『そんなものは無いのだ、既に無いのですよ。本来好い人なのですよ』

 かう云ひ切りたい。そこに癩病が消えたやうに一切の悪が消滅する。

 それは自己礼拝が本当に完成しなければ他人礼拝も出来ない。他人は自身の反影であるからだ。

 わが妻よ、わが観世音菩薩よ。私は今貴女を観世音菩薩として拝むためにこの手紙を書くのである。今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――ああ、谷口雅春先生も、奥様に対して

「今まで私が貴女を人間として、尚欠点あるものとして観て来たからこそ貴女に欠点も出て来たのである。すべてそれは私の自己迷妄の影であつた。」

と反省懺悔され、そして乾坤一擲、

「あなたは観世音菩薩であり、私は塩椎の神なのである。そして一体なのである。」

という境地に立たれたのである。

――そのことに、私はとても親近感、と言ってはたいへん失礼ですが、先生も、われわれ凡人と、まったくかけ離れた特別な神様というわけではないのだ、と思いました。
<つづく>


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