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Web誌友会 板/2
3622
:
a hope
:2014/01/24(金) 19:50:29 ID:G/pK6qF2
生命の實相 第8巻 p76 後ろから4行目〜
>>諸君が神想観中、人間の完全円満なる実相生命を人間の一面であると観じ、しかし同時に肉体人間を人間の他の一面であると観じ、肉体なる容器に霊なる神の生命流れ入ると観ずるならば、それは人間に二つの異なる存在を――すなわち一つは完全なるもの、多は不完全なるものを――認めることになるのであって完全なる神想観と言うことはできないのです。
われらが肉体をば、真実在に相対する不完全な存在であると考える限りにおいては、われらは生命の実相を把握したということはできないのです。むしろかくのごとき人間観をいだいているからこそ、もろもろの病がその人の生命にあらわれてきたのであります。
実相の世界、真実在の世界においては、不完全とか、不調和とかは豪末(ごうまつ)も存在しないのです。実相の世界、真実在の世界においては人間はただの一つの存在であります。霊なる至妙なる人間しか存在しないのであります。吾人(ごにん)の肉体を実相とは別なる存在であると考えてはならないのです。
実在(ほんとうにあるもの)はただ一つ聖なる神の子なる「我(われ)」であって、肉体はただその聖なる実体の映像(かげ)としてのみ認めねばならないのだ、これを実相に対する実在として対立的に認めてはならないのであります<<
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