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Web誌友会 板/2

2952復興G:2013/09/29(日) 20:08:24 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は、私事ですが今日は朝早くから東京国体の自転車競技ロードレースに孫の一人が出場するので、家族と一緒に奥多摩まで応援に出かけていき、かなり疲れて帰ってきました。

明日も午前・午後と重要な行事があり、その準備をしっかりとしなければならないので、今夜はあまりここに書くことはできません。

志恩様・マリーゴールド様から、私が書いた

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」
と置き換えることもできるでしょう。<<

ということが、どうしてもわかりません、ということですが、
私は>>2875>>2895に、少し具体的な私の思いを書いていますから、ご覧になってください。

また、私が今読んでいる本のひとつ、曾野綾子さんの 『人間にとって成熟とは何か』 という本で、トマス・アクィナス(13世紀イタリアの神学者)が

「すべて存在するものはよきものである」

といっていることを知りました。

そしてweb誌友会参考文献板で、榎本恵吾先生は

<< 神は暗を見給わないのである。神は罪も迷いも病も死も見給わないのである。それ故、生長の家人類光明化運動は暗を知らないのであり、暗を見給わないのである。>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/122


<< 「生長の家人類光明化運動」 は 「光明化」 と書かれているかぎり、これは 「暗(やみ)」 を相手にした、光明一元ではない、相対の運動ではないか。という言葉をきいたことがある。

 しかしながら、 「暗」 という字をよく見れば、 「日」 と 「音」 との組み合わせで出来ており、 「日」 が二つも使われていて、これほど明るい字は無いということに気がつくのである。……>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/127


<< 神が天地を創造され給うたのは、ご自分の中の不満足、不完全を満たすために創造され給うたのではないのである。神は不悩不苦(ふのうふく)そのものであり給うのである。生長の家人類光明化運動も不悩不苦なのである。

 また、神は懺悔(ざんげ)をし給わないのである。神は罪を犯してい給わないからである。その如く、生長の家人類光明化運動は罪を犯してい給わないのである。そこにはただただ創造的前進あるのみなのである。

 生長の家人類光明化運動の歴史は成功の歴史であって、反省のための歴史は有り得ないのである。この運動は 「罪を犯さんと欲(ほっ)するも罪を犯すこと能(あた)わず」 と約束されているからなのである。

 ここに書きつづられている 「覚え書き」 も反省のためのものでは決して有り得ないのであって、ただただ讃偈(さんげ)のためのものであるのみなのである。>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/129


――とおっしゃっているご文章に、「これが生長の家の神髄だ! 相手の悪、欠点を見て自己反省するのではなく、“悪は無い” と自覚することだ。光明の前進あるのみだ!」 と思いました。悪と見えるものも、善が現れようとしている過程であり、なにかを気づかせ教えて下さっているのだと思います。

しかし、信徒は総裁の奴隷ではない。一人一人の内なる神の声に耳を傾け、それを宣べ伝えていくことが必要だと思っています。(>>2910>>2911

ありがとうございます。


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