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Web誌友会 板/2

3122a hope:2013/10/08(火) 21:10:00 ID:Zlo2YeaM

(つづき)
そしてさらに、雅春先生の「生長の家発進宣言」と「発進宣言」 の前のお言葉を紹介してくださり、


<<――こうして見ますと、「発進宣言」 だけ読むと悲壮感をもって書かれているような感じを受けますが、その前のご文章を読みますと、そうではなく、「実相独在」 の境地から深い愛と智慧と歓びの情熱をもってこの創刊号が編集発刊されていることがわかります。>>


と、ご指導いただき、最後に>>2851で、


<< 先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。
それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。
だから、「自分の有(も)つてゐる限りの火で人類を救はねばならない」 とおっしゃっても、それは今回のテキスト173頁のご指導――

<<「救う救う」 といいますけれども 「救ってやる」 という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」 という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては 「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」 という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。≫
(『生命の實相』 第4巻 173頁)

――とご教示くださっていますように、先生が発進宣言で 「人類を救はねばならない」 とおっしゃったのは、現象を見て、人類を下に見ておっしゃったのではなく、人類みな本当は神の子であるという 「拝み」 の心、「わが業はわが為すにあらず、天地を貫く祖神(みおや)の権能(ちから)」 という自覚の心、空っぽの謙虚な心をもっておっしゃっているのだと思います。
私たちも、谷口雅春先生から「皆さんが谷口雅春である」 と言われたのですから、そのように生きることが、信徒の務めであり、それが「信徒ひとりひとりの法燈継承」 ということであろうと思います。 >>


とお答えいただきました。
(つづく)


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