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Web誌友会 板/2

2869復興G:2013/09/21(土) 20:31:22 ID:AB6RqYXc

テキストの202ページに、

<< 沢田――なんでも医者がもうあの方の肺臓は大分空洞になっているといったとかで、非常に悲観しておられたとき、佐藤さんは突然 「肺臓なんか無くってもよいじゃないか」 と語調鋭くいってしまったが、気がついて 「オヤオヤこれは大変なことを口走ってしまった。そのあとをどう収拾したものだろう」 と思ったが、その言葉が病人に大変力を添えたようだった、それは神さまから言わされた言葉だったようですといっておられました。

 谷口――「肺臓なんか無くとも生きられる」 と佐藤さんが断乎としていわれた、それは実に尊いお言葉です。そのために肺臓がかえってよくなって、今まで腐っていた肺臓が再生してきたというのは大変おもしろい事実じゃありませんか。「肺臓がないと困る、肺病が伝染(うつ)っては困る」 などと、なまじっか生理学や衛生思想にとらわれてそう思っているとかえっていつの間にか肺臓が腐っていたのに、「肺臓なんか無くとも生きられる」 と心の思い煩いが肺臓から全然なくなったときに肺臓がかえって復活してくる。>>

 という記事があり、また205ページには

<<一燈園の経済は無一物の経済であります。無一物から無腎臓が出て来る経済だといわれます。すべてを捨てたときにすべてが得られる、という真理を一燈園は経済的にそれを実証しているのであります。>>

 とあります。そして、

<< 「生命力の無尽蔵」 を実証せられていよいよ一燈園生活も揃うのであります。>>
 (215ページ)

 と書かれています。

 これを読んですぐに浮かんだのは、近所の誌友 I さんの体験です。 I さんは、かつて文学青年でした。その文学仲間の同人誌に書かれた I さんの投稿文をご披露させていただきます。

   *  *  *  *  *  *  *

<<    むじんぞう余滴


 「小説家は、あらゆる人間のうちで、最も神に似ている。彼は神の摸倣者である……。」(フランソワ・モーリアック・小説論)という悪魔の囁きに邂逅してから幾年経ったろうか。

 「人物を創造し、心の秘密を探究する恐るべき才能を与えられた人間は、しかし神無き人間の不幸が何を意味するか。神の国が見出されるのは、人間の中のみである。」という言葉が、もはやセピア色となって久しくなり、茫茫として漂泊する風のように年を重ねていたある日の事。

 平成五年二月から四ヶ月間に、母を始め、仕事関係近親者の五人もが他界した。もはや絵空事ではない。人はどこから来て、どこへ行くのか。死後の世界はあるのか。

 このような場合、小説の効用など微塵もない。毎日暗澹として過ごしていた冷夏のある日、たった一度の自覚症状がおこった。(十分間程度の地に引き込まれそうな嫌悪感)そして、ヤブ(・・)医者と周りの人から言われている医師により、お腹を触手しただけで、異変を知らせてくれ、私は、後に神の手だと思った。

(何故なら、腎臓に疾患があったのだが、それは背中の方にあって、通常お腹の方から触手した位では、わかる筈はないのである)。
<つづく>


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