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Web誌友会 板/2
3909
:
a hope
:2014/05/15(木) 20:41:53 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第13巻 p71〜72
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2846
(a hope 赤線部分)
<<「神は愛なり」とは、神は万物の本源でありますから、「神はすべてのものを自己そのものとして観給う」
――これが「神は愛なり」という意義であります。>>
<<「われわが子を愛す」といえば、「われそのものとして観る」ということであります。
子を愛する母は、わが子の噛んだものを口移しに食べても「穢(きたな)い」と感じない、
それはわが子をわれそのものとして観るからであります。
「穢い」などという感じ、すべての軽蔑の感じは自と他と相疎隔した感じによって起るのであります。>>
<<「美とはそこに生命があらわれていることである」と『智慧の言葉』にありますが、
ある種の美術はちょっと見るとどこが美しいのかわからない、
じっと見ていると美しさがわかってくる、それはその美術に顕れている「生命」を見いだし、
その「生命」を自分の「生命」と同じものとして感じる、
すなわち自他一体の感じを受けるから「美しい」と感ずるのであります。
だから「美」も「愛」も「生長の家」から観れば同じことでありまして、
自己と同じ生命を見出すとき、そこに美を感じ愛を観ずるのであります。 >>
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