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Web誌友会 板/2
3842
:
a hope
:2014/04/15(火) 17:36:06 ID:cEpBaIdo
(
>>3840
a hope 所感)
ところで、
>>3838
でも述べましたが、わたしが聖典を拝読するかぎり、釈迦も天理教教主も、
最初は心の法則(理、唯心所現、因果報応等)を教義の中心とし、
最後に「現象なし」の「唯神実相」の真理を説かれたと説明されているように解釈できます。
ところが、「生長の家」では、最初から「唯神実相(実相世界)」を第一義とした上で、
第二義の「心の法則(現象世界)」も教義に組み込んでいるのですね。
それが「生長の家」の「縦、横の真理」であり、特徴的なところだと感じています。
>> 3840 の謹写部分には、「生長の家」の真理を人々に悟らせるための方便について述べられていますが、
最後のところに、
<<「カゲの世界」を成就しつつ、その成就の実証によって実相を悟るように説いているのが「生長の家」であります。>>
とあります。
文中の、『「カゲの世界」の成就』というのが、具体的には、病気が治ったり経済問題や家庭問題が改善されたりすることで、
言い換えれば「生長の家」の奇蹟にあたり、その『実証』というのが、『体験談』で公に発表することにあたるのだと思います。
「生長の家」では、「現象世界」のみを信じる人々の目を「実相世界」に目覚めさせるための方便として、
『奇蹟の体験談』をすることがとても重要な意味を持つということなのだと思います。
みなさま、わたしの解釈にまちがいがあれば、ご指摘、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。
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