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Web誌友会 板/2

258初心者:2013/02/17(日) 23:04:17 ID:4YcI.wfQ
復興Gさま

>――「一コマ一コマ映し出す仕組が、ほんらいないはずの迷った世界をつくりだす」という表現はちょっとおかしいと思います。

そうなのですね、わたしもおかしいとおもいます。このおかしさこそがダブルバイ
ンドの正体という気がいたします。

生長の家では、現象世界を「迷いの産物」として表現しませんでしょうか。もしも
このように表現するなら、一コマ一コマを現象世界として映し出す仕組みが迷いを
つくりだしているということになってしまいます。

このように考えることはとうていできませんので、もしもこのように考えなければ
ならないとすれば、これがダブルバインドとなって、「神の仕組みがなぜ迷った
世界をつくるのか」とのおかしな問いかけをしなくてはならなくなります。「神の
仕組みは迷った世界をつくらない」と考えるなら、おかしな問いかけをしなくても
すむことになります。

現象世界は迷いの産物ではない。これがわたしの考えるところですが、生長の家
は、現象世界を迷いの産物として説明しているようなところがありはしませんでしょうか。

>「一コマ一コマ映し出す」というのは映画に譬えたわけですが、それは「影を映す」「投影する」ということで、映し出された影は影であって本来ない。だから、「迷った世界」は本来ない、ということでしょう。
「このように考えなければならない理由」なんて、ないと思います。それは、「1+1=2」でなければならない理由を問うようなものでしょう。それは、「神がおつくりになった仕組み」と考えてよいと思います。

わたしは、現象世界を実在と考えるのは迷いであるにしても、人が「迷い」によって
ないはずの現象世界をあるがごとく経験しているとは考えておりません。

ないはずの現象世界をあるがごとくつくりだせる仕組みが本物宇宙にはある
はずなのですね。この仕組みを利用して人類は現象世界をつくりだしている、とする
のが「本物の宇宙」の基本的な考え方です。

したがって、人類が本物の宇宙の仕組みを利用することでつくりだした現象世界を
「影であるから、ほんらいない」と言いつづけなければならない理由はどこにも
ないと考えます。現象世界を実在と思い込んでいる人にたいしては「ほんらいな
い」と説明する必要はあるにしても、「実在ではない」と了解した人にたいしてまで
「影であるから、ほんらいない」と言いつづけなければならない理由はどこにも
ないと考えるということです。

「このように考えなければならない理由」というのは、「現象は非実在」と了解した
人にたいしても、生長の家は「現象は迷いであり影であるから、ほんらいない」と
なおも言いつづけているとおもえるので、なぜそのように言いつづけなければ
ならないのか、との意味でその理由をたずねたものです。

現象世界を正しく説明するのであれば、「影であるから、ほんらいない」ではなく
「現象世界は神の計画を実現するために、人類がそれをあるがごとく経験して
いるのである」というべきではないでしょうか。

生長の家はなぜいつまでも「影だから、ない」の考えにこだわり続けてそのように
言いつづけるのでしょうか。現象世界を、重要な役割を担ってあるがごとくあらわ
れた世界と、なぜ考えようとしないのでしょうか。なぜ否定することばかりを考え
るのでしょうか。

「現象世界は迷いの産物であり影であるので、ほんらいない」とするのが真の
「生長の家の教え」だとすれば、神の仕組みによって映し出された世界を、真の
「生長の家の教え」は、ことさらに「迷いの産物」としてのみ描き出そうとしている
ことになりはしませんでしょうか。


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