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Web誌友会 板/2

262復興G:2013/02/18(月) 09:01:38 ID:AB6RqYXc

初心者様

おはようございます。

昨夜はすばらしいご質問を頂戴しましたこと、ありがたく感謝申し上げます。昨夜はちょっと疲れてもう目がしょぼしょぼしていましたので、お答えを本日に延ばさせて頂きました。おゆるしください。

さて、
>>257
>>「固体の実相世界は非実在であり、ない」との確約を得られるのであれば、それだけで十分です。確約はいただけますでしょうか。<<

私は、「固体の実相世界」などというものはあり得ないと確信しております。

>>258
現象世界を正しく説明するのであれば、「影であるから、ほんらいない」ではなく
「現象世界は神の計画を実現するために、人類がそれをあるがごとく経験しているのである」というべきではないでしょうか。<<

そうですね。
『神 真理を告げ給う』のp.44〜p.49には、次のように記されていました。

     ○

 完全な神の分身であるあなたが何故迷うかと、あなたは問うであろう。“迷いは何処から来たのか”というのは仏教でも重大な設問になっている。「“迷い”本来無し」と一刀両断に截ち切る解答は従来からある。それでも、「では、その本来無き迷いが、どうして恰もあるかの如くあらわれて来るのか」という最後の問が残るのである。その最後の問に“わたし”は答えることにする。

     ○

 あなたは仏教の「煩悩即菩提」という語をたびたび聴いたこともあるし、読んだこともあるであろう。“迷い”がそのまま“菩提”の道程であるということである。“迷い”という「菩提とは別なもの」があるのではないのである。“迷い”と見えているものが、実は“悟り”が動き出し、現象化しつつある道程であるから、“迷い”本来無しといい得るのである。
 あなた達が“迷い”だと思っているものは、実は“わたし”が“神の国”を地上に顕現するための土台又は地盤になるための精神的基礎工事を行うために授けたところのものなのである。

     ○

 時間及び空間というものは本来ない。実相世界は超時空的存在の世界であるからである。時問の観念、空間の観念は物質的存在を心に描くための謂わば“画布(カンバス)”として必要なので“わたし”が人間に与えたところの架空的観念である。それは光の波を固定して映画の光景として見せるスクリーンの役目をなさしめるために“人間の心”に対して“わたし”が与えたところの概念である。このスクリーン上に生命の波動(心の波)が放射されると、生命の波動(心の波)が固定化されて物質化して感じられるのである。この物質化として感じられる基盤がなければ、地上に天国を建設するという“わたし”の芸術を成就することが出来ないので、“わたし”は人間に時間空間の観念を与えたのである。時間及び空間は“わたし”の創造である。
<つづきます>


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