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Web誌友会 板/2

3516復興G:2013/12/24(火) 23:19:32 ID:AB6RqYXc

<つづき>

<< つづいて、新選谷口雅春法話集8 『愛と光との生活』 第一章より 謹写

 重大なのは、本当のキリストの発見であります。物質に依りて生れないところのキリスト、聖霊の神聖受胎であるところのキリスト、それが自分の中にも宿っている。

 自分の中に光がある。自分の中に罪を贖うところの原理がある。物質に依って生れず肉に依って生れず、永遠に汚れないところの永久の真理なるキリスト――それが自分の生命の生命――本当の自分であって、それが自分の内にある。と言って別にあるのでないのであってそれこそ本当の自分である、我こそは久遠のキリストである、こういう自覚を皆さん自身が有つことが、即ちキリストと一体になることが、これこそ本当のキリストに救われる道であり、本当のキリスト教だと信ずるのであります。

 キリストに救われるということは、他所からキリストが手を出して空中にでも引揚げて呉れるのではないのであります。自分の真に自分なるもの――その本当の存在キリストなるものと一つだということを自覚することが救われであります。

≪ルルドの聖泉について≫

 事の起りを簡単に申しますと、千八百何年かのこと、ベルナデットと称する十七八歳の乙女がルールドの町の郊外を歩いていると、白衣をつけ青い帯を結んで、黄金のばらの花三輪をその素足で空中にふんで立っている神々(こうごう)しいまだうら若い十五六歳にも見えるところの女神に出遇ったのであります。(>>3514 「黄金の薔薇」 ご参照ください)

 その女神は空中からその乙女だけに聴える声でいろいろのことを教えて呉れたそうですが、或る日 『お前は悔い改めよ、悔い改めたら肉体は救われるかどうか知らぬが魂は救われる』 と被仰(おっしゃ)るのです。『その悔い改めのしるしに顔を洗え、ここの土を掘って顔を洗え』 と被仰るのです。

 それから乙女は、そこの土を掘って顔を洗ったのです。土を掘るとそこから噴水が泉となって噴出した。土を掘り立ての時に出た噴水のことですからどろどろの土を噴(ふ)き出して、それで顔を洗ったら顔中泥だらけになった。

 そんな泥だらけの水で顔を洗うものですから、『あれは気が狂った、ベルナデットも可哀想なものだ』と町の人は言って居ったそうですが、やがてその神様が、乙女に 『此処に教会を建てよ。祠(ほこら)を建てよ』 と被仰ったのであります。

 そこで近所の教会に行って牧師さんに、こういう神さまが祠を建てよと言われるから祠を建てたいと言いますと、『一体なんという神様か、神様の名前が分らないでは献堂金の集めようもないから、その神様の名前を聞いて来い』 と言われますので、その神様のところへ往って聴きますと、『我こそは無原罪の受胎である』 こういう長たらしい神名を被仰ったのであります。

 (中略) 聖霊の汚れない妊娠、これは聖母マリアであるというので、ルールドの聖地にはマリアの像を岩壁に彫刻してあるのです。

<つづく>


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