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Web誌友会 板/2

577復興G:2013/03/12(火) 14:44:23 ID:AB6RqYXc

前記、「ガレキに花を咲かせよう」の記事の続きです。

    ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

≪震災が起きた際、私は学校で会議の真っ最中だった。突然、立っていられないほどの揺れが襲ってきた。長い時間それが続き、やっとのことで外に避難した。

 幸い家族は無事だった。ただ、自宅は電気が止まっており、近くの実家に身を寄せた。テレビに映し出される津波の映像や、原発のニュースを見ていると、不安で息が詰まりそうだった。「絵を描きたい、描かなきゃ」。なぜか強くそう思い、画用紙の上でボールペンを動かしつづけた。15枚を一気に描き上げたとき、心が深呼吸できたように少し楽になれた。

仮設住宅の壁にも絵

 高校では仮設校舎ができる2011年の秋まで、学年ごとに日替わりで登校し、体育館や武道場で授業を行うという状態が続いていた。生徒にも不安はあったに違いない。花を描くことが救いになったかどうかは分からない。それでも「自分たちのかつての校舎に絵を描くのは、最初は悲しかった」と言っていた生徒も、次第に楽しそうに作業をするようになっていった。

 避難されてきた方たちとも交流が生まれた。12年春からはグレー一色の殺風景な仮設住宅の壁に、絵を描かせてもらった。浜通りから避難されてきた福島県浪江町の方々からは、「海の絵を描いてほしい」と言われた。住民の方たちも参加してくれて、行くたびに新たな絵が追加されていることもあった。

 こうした活動を続けられるのは多くの人の支えがあるからだ。新聞やニュースで私たちのことを知った人から、絵の具が送られてきたこともあった。非難されるのを覚悟して始めただけに、こうした人たちに私も生徒も勇気をもらった。

東京・銀座で展示

 今年の2月には、東京・銀座で作品を展示してもらう機会もいただいた。がれきに描いた花には再生への思いが込められている。被災地のメッセージを、多くの人が集まる銀座で展示できたことは、生徒にとって貴重な経験になったと思う。

 もちろん除染し、放射線量を測った上で、問題ないがれきだけを使っている。福島というだけで色眼鏡で見られるのではとつい思ってしまう。会場には作品とともに測定器を置いた。

 プロジェクトがいつまで続くかは分からない。がれきの撤去も進む今、その段階を過ぎつつあるという気もする。それでもアートを通じ、何かを発信したいという思いが生徒たちには芽生えている。福島から何が伝えられるのか、生徒とともに考えていきたい。(ばんしょう・あつみ=美術教諭)≫


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