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Web誌友会 板/2

2119復興G:2013/06/25(火) 10:35:37 ID:AB6RqYXc

ユタカ様
こんにちは様
志恩様

榎本先生の『神癒の展開としての人類光明化運動』(五)に関してのご質問・コメントなど、ありがとうございました。

ご質問はまことに真剣な切実な課題であると思います。

まず、ユタカ様のご質問 (1) について。

>>1、「大自然讃歌、観世音讃歌」などのお経の存在はどうとらえるのでしょうか?などは『現象なし』とすると、二つの経?も神様から与えられたる素晴らしいお経?ということでよろしいのでしょうか?<<

――『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』などは、「神様から与えられたる素晴らしいお経」ではないと思います。

それは、雅宣総裁ご自身が、「私の書いた者は私が書いたのであって、神が書いたものではないから、“聖典”とは呼ぶな」という意味のことを言われており、このたび経本型にして出版されている詩の本も、当然のことながら“聖経”ではありません。

それは、総裁が

≪生長の家の詩としては、谷口雅春先生の『生命の實相』第20巻(頭注版)聖詩篇に「生きた生命」や「光明の国」「夢を描け」など十数篇が「生長の家の歌」として収録されている。その筆頭は、現在「甘露の法雨」と呼ばれている有名な長編詩だ。これの後篇が「天使の言葉」であり、これらは生長の家の真理を凝縮した「聖経」として取り扱われている。私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義−−例えば自然と人間との関係など−−について補強を試みている。読者諸賢からの感想をお待ちしている。≫

と、「唐松模様」に書かれている通りであります。

そして、私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――

聖経『甘露の法雨』には

   万物はこれ神の心、
   万物はこれ神のコトバ、
   すべてはこれ霊、
   すべてはこれ心、
   物質にて成るもの一つもなし。
   物質はただ心の影、
   影を見て実在と見るものはこれ迷。
   汝ら心して迷に捉わるること勿れ。

   神は遍在する実質且つ創造主なるが故に
   善のみ唯一の力、
   善のみ唯一の生命、
   善のみ唯一の実在、
   されば善ならざる力は決して在ることなし、
   善ならざる生命も決して在ることなし、
   善ならざる実在も亦決して在ることなし、
   善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢に過ぎず。

   すべて真実の実在は、
   神と神より出でたる物のみなり。
   神は完全にして、
   神の作りたまいしすべての物も完全なり。

と、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。

 それで私は、「讃歌」なる“新経”は読みません、そんなものを読む時間があったら聖経『甘露の法雨』を誦みます、と言ってそうしていますが、しかし、教区の行事(たとえば教区練成会など)で「讃歌」一斉読誦というプログラムが組まれていると、普通の方は読まないということは難しいでしょうね。

 これは、大きな公案です。

 今、すぐには、「こうするのが正しい」という答えが見つかりません。考えて行きたいと思います。
<つづく>


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