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Web誌友会 板/2

1458復興G:2013/05/28(火) 20:36:17 ID:AB6RqYXc

<『新版 真理』第3巻より つづき>

     平常の心が其のまま「道」である

 この『無門関』第十九則の「平常心是れ道」と云う公案のところにこんな事が書いてあります。趙州(じょうしゅう)と云う坊さんが、師の南泉(なんぜん)と云う和尚さんに、

「如何なるか是れ道(どう)」と問うたと云うことが書いてあります。「道」と云うのは人間の踏み行なうべき道徳――人間の当然心掛けねばならぬ、根本の心構えのもとになるものです。「何が人間に最も大切な根本の心構えか」ときいたのです。

 そうすると、南泉和尚が、

 「平常心是れ道」と答えたのです。「あたり前の心をもつことが、そのままで是れが道じゃ、これが根本の心掛けじゃ。」と云うような意味であります。

「では振反(ふりかえ)って、その当り前の心を持つように趣向(しゅこう)しなければなりませんか。」と趙州はたずねました。

「いやいや、趣向しようと思って、心を構えると反って逆効果になる。」

 と南泉和尚は答えたのであります。

 「趣向する」と云うのは、「趣向をこらす」などと使われる語でありまして、ある目的に向かって心を趣かせて、色々工夫することであります。「今日はお客様が来るから、ひとつ趣向をこらして御馳走をしようじゃないか」と一所懸命御馳走をしてお客様に差出すと、生憎、お客様はお茶漬が欲しかったのに――と云うようなことがあります。これが「向かわんと擬(ぎ)すれば即ち乖(そむ)く」で、逆効果になるのであります。

 「擬す」と云うのは、カマキリと云う虫がありますね、あれの眼の前に指でももって行くと、たちまち、その鎌のようになった手で、身構えします。これが「擬す」であります。身構えするから面白いと云うわけで、子供が捉えて見世物にし、いたずらをし、ついに弄(なぶ)り殺しにしてしまうと云う事にもなります。趣向するから可(い)けないのです。

     細川侯と宮本武蔵

 宮本武蔵が嘗(かつ)て、細川侯の客分となっていたとき、細川の殿様が、宮本武蔵に、

「わしの前でひとつ絵をかいて見せてくれ。お前は絵もなかなか上手じゃと云うことじゃ。」と仰せられました。

 そこで宮本武蔵は、殿様の前で毛筆を揮(ふる)って絵を描いて見せたのですが、上手に書こうと思うほど旨(うま)くかけないので、さすがの宮本武蔵も、身体中(からだじゅう)に冷汗が流れたと云います。

 宮本武蔵は自分の邸に帰って来て、夜眠ろうと思って寝床に入りましたが、昼のうちに細川の殿様の前で上手に絵がかけなかったことを思出すと、口惜しくてどうしても眠れません。

 「自分は剣をとったら、天下無敵であるのに、どうして剣よりも軽い筆をもって、その筆が自由自在に動かないのであろうか」
 と、夜っぴて考えたのであります。そして夜明前になって武蔵は、

 「上手に書こうと、構える心を起したから却って逆効果になったのである」と気がついたのであります。こうして宮本武蔵は「無構えの構え」と云う彼一流の剣法を案出したのであります。
<つづく>


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