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Web誌友会 板/2

2233復興G:2013/07/11(木) 16:12:37 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 聖典の第一巻で 「他(ひと)を生かせ自分も生きる」 という題で説明したことがありますように他を罪する心は自分を罪することになるのであります。他を心で斬るものは自分も他から斬られる――これが心の法則であります。

 寝られないと他(ひと)のせいにする、胃腸が悪いと他のせいにする、不幸があると他のせいにする――こういう心は、自分というものが全然他の人または他の物の傀儡(かいらい)であって、土偶(でく)人形のようなものだと考えていると同様である。

 土偶人形というものは少しも自主独立な選択力がない。右を向かせれば右を向き、左を向かせれば左を向く、手を上げるのもインキをひっくりかえすのも自分の力ではない。だからわたしがインキをひっくり返してもわたしが悪いのではないという弁解も成り立つ。この土偶人形と同じように自分自身にはなんの力もないものだ他動的にのみ支配されているものだ、とわたしは「生長の家」の心の持ち方になるまでの長い期間、「わたし自身」を考えていたのであります。

 そういう弱い自覚を持っていたから、わたしはしじゅう「他から害される」という強迫観念をもっていた。そして毎日「他(ひと)がこうだからわたしはこんな目に会った」とつぶやいていたものであります。人を恨む、その癖自分は同情されたい。その間じゅうわたしは神経衰弱で、不眠症になったり胃がつかえたり、下痢したり、震災に会ったり、泥坊に二度もはいられたりしていました。

 が、人間というものはそんな他から支配されるような土偶人形ではない、自主独立的な神の子である、自分の肉体、自分の運命、自分の境遇は、自分で自由自在に変化させうるものであるという真理をさとってからは、だんだんわたしのつぶやきも減ってきました。

 こうして自己の神性の自覚ができまして、つぶやきが減ってきますと、わたしの身体(からだ)も健康となり、以前にはずいぶん虚弱だったわたしが、会社生活の片手間にでも雑誌の執筆編集から、他人の病気相談にいたるまで、二重三重の激務に従事できるようになってきましたし、境遇もだんだん善くなりつつあるのであります。

 他(ひと)の陥るおとしあなを造っておけば自分もまたおとしあなに落ちるという意味で、昔から 「他(ひと)を呪わば穴二つ」 という諺がありますが、この 「呪う」 ということは本当は言葉で悪くいうことでありますから、「つぶやく」 ということも要するに 「呪い」 にほかならないのであります。だからこの 「他を呪わば穴二つ」 という諺は 「つぶやくものにはつぶやくような不幸が来る」 ということに言い換えることもできるのであります。


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