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Web誌友会 板/2
2187
:
復興G
:2013/07/05(金) 19:35:04 ID:AB6RqYXc
合掌
>>2186
のつづきです。
曳馬野様。
>>2180
投書子の 『生命の實相』 第38巻引用文は、前後を切り捨て縮約してあるために、少し誤解を招くような表現になっていましたが、
>>2186
の全文をお読みいただけば、最初の疑問は氷解されるように思いますが、いかがでしょうか。
「生命は不死」というのは、「肉体が死なない」ということでないのは自明のことです。肉体は死んでも生命は不死である、ということですね。
それで、38巻「7月4日」のところには、
≪ 宗教とは死なぬ道を教えるものである。不滅の道を教えるものである。
ある場合には、それは「個」と「全体」との関連において。「個」は「全体」とつながっているものなるがゆえに、「個」は滅びたように見えても、「全体」は滅びないから、それにつながる「個」も滅びないというような考え方において。
ある場合には、それは国家理念の立場において。「個人」は滅しても「理念」は滅びないがゆえに、国家理念のために没しきった個人の生命は永遠に滅びないというような考え方において。≫
とあって、個生命の不死を説くのにいろいろな説き方がある、ということを言われているのです。またある場合には霊界通信の記録をもって個生命の不死を説かれる場合もあるということでしょう。ですから、それは七つの光明宣言の「二」と何も矛盾しないと思います。
次に、進みます。
≪ >>「7月8日」――日本も久遠無窮の理念が失われた時、弱体化するのである。<<
「国家理念は滅びない」といいながら「久遠無窮の理念が失われた時」とは如何なることでしょうか? ≫
これも、「7月8日」 のことろを抜粋でなく原文全文を謹写しますと――
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
≪ 七月八日
ローマが滅亡したのは、理念または理想に対する献身的態度や、持久の精神、堅忍不抜の精神の衰頽したのによるのである。
ものの尊さも、国の尊さも、今ある形の大きさによるのではない。
理想――理念を失ったものは、すでに内容のない形骸ばかりのものになっているのだから、今はまだ生き生きしていようとも、それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはないのである。
どんなに小さくとも生ける理念を内部に失わないものは、時期が来れば生長するほかはないのである。それは生命の種子であり、機会ごとに伸びるのだ。
西欧文化は、偉大のように見えても、もう理念が失われている。日本も久遠無窮の理念が失われたとき弱体化するのである。理念が本当の「日本」であって、形はその影にすぎない。日本を大いに復興しようと思うならば、「日本」の理念を復興しなければならぬ。≫
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――とあるのであります。
理念は滅びない。しかし、理念は目には見えませんから、現象世界ではその 「滅びない理念」 を忘れて、目に見えるものだけを追い求め、それに振り回されていることがある。そうすると、
「それはすでに幹から断ち切られた生け花のようなものである。それは時間のたつにしたがって、衰滅枯渇してゆくほかにありようはない」
といことになる。
そういう意味だと思います。
<つづきます>
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