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Web誌友会 板/2

4341a hope:2014/09/18(木) 09:23:05 ID:cEpBaIdo

「仮相(かりのすがた)は本来「無」と知るのが実相への和解」p59


だから、真に和解するとは、「ものそのもの」の完全なる実相を認めその実相と和解することであります。

「家ダニ」を見たならば、吸血鬼であるその仮相を見ず、互に調和した場所において相侵し相傷つけないように造られている「完全なる家ダニ」と和解することであります。

結局「和解する」とは、その「実相」を見て、その実相において完全を観ることであります。


対人関係、対物関係の和解は、そういうように物そのもの、人そのものの実相を見て、それと実相において和解してしまいますと、
相手の調和した実相があらわれて相手が自分に逆いまたは害しなくなるのでありますが、
「迷い」に対したり「誤れる見解」に対しては、われわれはいかなる態度をとるべきでありましょうか。

「迷い」に対して和解したら、真理が消えてしまうのであります。

「誤れる見解」に対して和解したら実相がくらまされてしまうのであります。

だからわれわれは、決して「誤れる見解」に和解してはならないのであります。

「誤れる見解」をわれわれは「虚説」と申しますが、虚説とはよく名づけたものであります。

「誤れる見解」は実相の世界にはない。

それは「虚説」すなわち「無い説」でありますからわれわれは虚説と和解することは絶対にできないのであります。

虚説に和解したら自分の完全なる実相が眩(くら)まされ、完全なる実相が眩まされたならば、
その投影として不完全なる現象すなわち不幸、病気、災厄等があらわれてくるのであります。


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