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Web誌友会 板/2

3844a hope:2014/04/18(金) 22:25:19 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第12巻 p50 最後から1行目

真宗では「他力」を尊んで自力をけなすのであります。そして「自力」というものを価値のないもの、自分だけの力ではとうてい救われっこないものだと「自力」を軽蔑するのでありますが、いくら軽蔑いたしましても「自力」というものがそこにあるとうことを認めている以上は、「自力」を全然無視したとはいえないのであります。「自力」の存在を認めておればこそ「自力は駄目じゃ」といわねばならぬようなことになる。

ところが「存在するものは仏力ばかりである。神力ばかりである。自力というものは本来無いものじゃ」と解って、自力を全然認めないようになってしまえばアトは「他力」ばかりになってしまう。「他力」ばかりになってしまったら、もう「自力」などというものはない。この「他力」ばかりの信仰が「生長の家」なのであります。

「他力」と仮に申しましたが、「自力」に対立してこそ「他力」という言葉を使うことができまするが、もう存在するものは仏力ばかりであると解り、「自力」というものは何一つ存在しないということがわかりますると、自他の対立が無くなってしまう。自他の対立がなくなって、存在するものみんな仏力である、みんな神力であるということになってまいりますと、もう「自力、他力」の区別がいえなくなってしまう。すべて「絶対力」ということになってしまう。「生長の家」はこの絶対力の信仰である。

仏力のほかに「なんらかの力」をいっさい認めない。「阿弥陀仏」独在、阿弥陀仏のみこの世にあるのだというのですから、どこもかしこも阿弥陀仏の浄土ということになってしまう。どこもかしこも阿弥陀仏の浄土であるから、もう地獄などというものは無いことになってしまう。「みんな救われているぞ、みんなそのままで阿弥陀仏の浄土にいるんだぞ」これが「生長の家」が全人類に対する宣言なのであります。・・・


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