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Web誌友会 板/2

4287不生の仏心を求めて:2014/09/08(月) 16:01:44 ID:zTvAOV2w
なんじを害するものは一つもないのであるから、天地一切のものと和解せよ」ということであります。
そこで天地一切のものと和解するには、天地一切のもの、すなわち異端邪説とでも和解したらよいかどうかが問題になるのであります。>>
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これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。異端邪説はどこまで行っても説であり、考え、思想、念でしかない。
本来存在しないものと和解は端からしようがない。


     <<これは全くの詭弁ですね。異端邪説を天地一切のものに数えている。>>

↑で仏心さまがおっしゃりたいのは、「「天地一切のもの和解せよ」といいながら、
異端邪説を天地一切のものに含んでいるように表現しているにも拘わらず、
「異端邪説だけは和解してはならぬ」という内容のこの文章が矛盾を含んでいて、詭弁であると思われているのですね。
これに関しては、仏心さまとわたしの解釈は全く違うようです。

この場合の「天地一切のもの」とは「天地一切のものの実相(善一元の世界のもの)」という意味なのだと思うのです。
ですが、実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから、
方便として、このような説明になっていると思うのです。

  (a hopeの補足文)
『そこで天地一切のものと和解するには、【現象に現れてみえる】天地一切のもの、すなわち【実相(善)ではない】異端邪説とでも和解
   したらよいかどうかが問題になるのであります。』 という風になり、このようにわたしは解釈しています。

   a hopeの解釈は、

<<異端邪説はどこまで行っても【虚】説であり、【間違った】考え、思想、念でしかない。本来存在しないものと和解は端からしようがない。 >>
ということになります。

●私の思うところとは少し違いますね。」天地一切のもの」は顕れているモノそのもの、人間が意を通して何かを考えたそのことは、
「考え、思想、念」であり縁に触れて心に浮かんだものであり、一瞬の後には何も存在していないもの、であり、端から『天地一切のもの』
ではないということです。

貴女は「実相世界を悟っていない人間には、実相と現象との区別がハッキリつかないわけですから」と言われる。とすれば何と和解し、
何とは和解してはいけないのですか、現象はどこまで行っても現象ですよね、現象には真象と偽象がある、と言われる。
真象であれ顕れたもの、現象であり消え去るものです。真象を好ましいもの、偽象を好ましくないものと普通考えますね、でも念の世界を
超越しない限り、因縁の世界から抜け出せないということのようです。

実相は無相か有相かの議論をしたことがあります。生長の家の実相を観るという場合の『実相』はそのものに相があるのか(理念)、
『真象』を指して実相と云っているのか、貴女はどう考えますか。


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