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Web誌友会 板/2
2573
:
復興G
:2013/08/16(金) 15:27:04 ID:AB6RqYXc
<つづき>
(6)日本国憲法の成立により主権者は変更したか
主権者の変更の有無を考えるうえで、まずは主権の定義を確定しておかなくてはならない。
宮沢俊義博士のいう「国民主権を問題とする場合の主権とは、国家の政治のあり方を最終的にきめる力をいう」(宮沢俊義『憲法の原理』岩波書店、1967年)が主権の定義として広く用いられ、定着している。
「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇にあれば天皇主権、国民にあれば国民主権ということになろう。
なお前掲書には「君主主権は国民主権と両立せず、一方の是認は、論理必然的に、他方の否認を意味」し、「天皇主権は国民主権と原理的に両立しない」のであって、「前者より後者への推移は、政治の根本原理の変革と見るべきものである」とも記されている。
では、旧憲法から新憲法への移行により、「国家の政治のあり方を最終的にきめる力」が天皇から国民に移ったとほんとうにいえるだろうか。少なくとも憲法の条文を比較してみても、天皇の法的権限は旧新憲法問で根本的な変化はなく、主権が天皇から国民に移ったことを明示する条文はみられない。
日本は古来「天皇不親政の原則」といって、天皇はごく一部の例外を除き、政治の意思決定に直接関与してこなかった。事実、明治維新から現在までのあいだに、天皇が国策を直接決定したのは、それこそ昭和20年8月10日の「終戦の御聖断」しか例がない。また、武家政権の時代は朝廷が政治を決定する立場になく、また平安時代以前も、摂関政治と院政、または豪族の政治が基本とされ、やはり天皇が直接国策を決定する立場になかった。
権力者たる国民(関白・幕府・議会など)が国策を決定し、これを天皇が裁可・承認・追認などをすることで、国事が遂行されてきたことは、歴史を通して変わらない日本の意思決定の仕組みであり、この点に関して旧新憲法間でも差異はない。
また、大日本帝国憲法下における確立された慣行によれば、政府と統帥部が決定した国策について、天皇はこれを却下する権能をもたなかった。これは、現在でも同様であろう。
具体例を挙げてみよう。たとえぱ立法権は主権の重要な権能の一つである。もし日本が米国のような完全なる国民主権国家なら、主権者だけの力で法律を完成させられなければおかしい。たしかに米国は国民単独で法律を完成させることができる。
ところが、日本の場合、国民は議会で法案を議決するところまでしかできない。そこから先は天皇の仕事になる。
法律を公布するのは天皇の国事行為であることは日本国憲法第七条が示すところだ。法律をつくるのは国民だが、そこに息を吹き込むのは天皇、ということになる。したがって、日本は米国と違い、国民単独でも天皇単独でも法律一つ、完成させることができない。
では、国民単独でも天皇単独でも主権を行使できないなら、わが国において、いったい誰が主権者なのだろう。答えは「君民一体」。つまり、天皇と国民が一体となった姿こそが、わが国の主権者の姿であると考えなくてはならない。天皇と国民が一体となったときに、初めて主権が発動するという意味である。そして、このことも旧新憲法間で違いはない。
宮沢博士は、天皇主権と国民主権は両立しないと主張していたが、それを両立させてきたのが日本の歴史である。
中国や欧州では「君」と「民」は対立概念だった。他方、日本では「君」と「民」、つまり天皇と国民が対立関係に入ったことは、これまで一度も例がない。また、そのような国は日本以外に存在しないのだ。よって、欧州の法学の概念で理解しようとしても、日本の統治を理解することはできないだろう。
主権には権威と権力の側面があり、日本は米国と異なり、主権の権威の側面を天皇が、また主権の権力の側面を国民が担ってきた。また「君民共治」が日本の国体であることは繰り返し述べてきたところであり、「君民一体」と「君民共治」は日本の国体の表裏を成すものといえよう。
このような理由により、帝国憲法から日本国憲法への変更に伴い、主権者の変更は実際に起きていないのであるから、国体が変更したと結論することはできない。したがって、仮に憲法改正に限界があったとしても、帝国憲法から日本国憲法への変更は、その限界の範囲内であったことになる。
<つづく>
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