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Web誌友会 板/2

664復興G:2013/04/19(金) 11:57:08 ID:AB6RqYXc

<つづき>

神示講義『神ひとに語り給ふ』より

 七つは完成の数でありまして一切を包容する意味であります。燈台というのは世を照らす光であって、世の光となる宗教の象徴であります。ところで、現在はまだあらゆる世を照らす光である筈の宗教が眠っていて其の法燈が消えているのであります。もう大分眼が覚めたらしい宗教もあるのですけれども、生長の家が二十七年前に出現した時分は、大抵の宗教は眠っておって燈がついていなかったのであります。

 だからどの宗教でもみな教祖の時代には、いろいろの奇蹟が現れたり、魂を本当に目覚めさせて如実に人間を救う事ができたのでありますけれども、それが段々弟子から弟子へ伝わり、それが「又弟子」に伝わりしてゆく中(うち)に、教えが段々水増しをするように迷いで薄まって、到頭、レッテルだけが「キリスト教」と書いてあって中身は別物が入っていたり、或いはレッテルは「仏教」と書いてあって、中身は釈尊のお説きになった真理がない水だけが入っているというような宗派ができて来ました。

 そして、そういう様な中身の異るものを「キリスト教」とか「仏教」とか言って売っているという様な事でありますから教祖が出現せられた時代にあらわれていた奇蹟があらわれなくなった。そしてその奇蹟があらわれないことを弁解する為に、奇蹟のあらわれる宗教を治病宗教とか新興宗教とか言って攻撃しておれば、自分の宗教が偉いように見えるだろうと思うような間違を犯して、テンとして恥じないようになって来たのであります。

 イエスでも釈尊でもはじめて出現したときには、既成宗教にあきたらないで出発した新興宗教であって、奇蹟が続々あらわれていたのであります――ところがその法燈が途中で消えて居たのですから、人生という航路を行く舟が難破するというのは無理がないという訳であります。

 其処で神様がそれに燈を点(つ)けなければいかん、という訳で、世を照らす光の燈台である各宗の教えに、生きた火を点ずる役目として出現せしめられたのが、生長の家であります。燈をつけるのであって、決して各宗の燈台を壊すのではないんですから安心せられたいのであります。だから私たちは決して生長の家へ改宗してやって来いとは言わないのであります。皆さんの信じていられる今迄の宗教のそのままでそれに本当に世を照す事のできる燈がついたらそれでいいんでありますから、生長の家にあらわれた神さまは『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好いという風に「新天新地の神示」に示されているのであります。

   (神示講義『神ひとに語り給ふ』より。原文は正漢字・歴史的仮名遣ひ)


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