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Web誌友会 板/2

4117a hope:2014/07/15(火) 18:31:44 ID:cEpBaIdo

みなさま

今迄、聖典引用板の方に、web誌友会のテキストである第13巻の内容をまとめたものや、
(所感)を書かせていただいていましたが、聖典引用板の方には謹写した文章のみを投稿させていただきます。

これからは、テキストをわたしが個人的にまとめたものやその内容への所感は、こちらに投稿させていただきます。

(テキストまとめ)

○『善とはなんぞや』p176 
・・・無相なるがゆえに無限相であるところの自由自在な神性が、時相応、所相応、人相応に顕現した状態をいう

時相応・・・時にふさわしい
所相応・・・所にふさわしい
人相応・・・その人にふさわしい


△人の時所に相応しない「思い」と「行為」とは
・・・前例においてそれが同じ「思い」同じ「行為」であっても「善」だとはみとめられない

例)<<たとえば、赤穂(あこう)四十七義士が主君の仇(あだ)のために吉良上野介(きらこうずけのすけ)を殺害してみずから切腹したごときは、近代においては「善」であると認められないことは前述したとおりである。>>p176 8行目〜


△「善」の動機説、精神内容説とは
・・・古来から唱えられている説で、動機さえよければ、その行為の精神内容さえよければ、形はどうでもそれは「善」であるとみとむべきである
・・・人類のためだという動機ならば手段としての行為はどのようなものでも、またどのような結果を招いてもその行為は「善」である


【「善」の動機説、精神内容説を谷口倫理学が排斥する理由】

<<動機が善であってもそれが不結果を招くのは、その動機としての彼の行為を指導し、彼を行為にまで駆るところの精神内容に、すべての場合や条件を尽さざるところの不完全さを暴露しているのである。不完全は「善」ではないから、不結果を招くような動機も手段も「善」とはいいがたいのである。>> p177 後から6行目〜


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