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Web誌友会 板/2

264復興G:2013/02/18(月) 09:41:02 ID:AB6RqYXc

>>263のつづきです。

また、『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」の、次の質疑ご回答にも、私はとても考えさせられ、勉強になりました。長文になって恐縮ですが、謹写転載させて頂きます。

       ○

(『生命の實相』第二十四巻「質疑篇」88〜99ページより)

   二、現象なしの自覚について

(問) 病はないことはない。病は現象としてあるのである。それはただ実在ではないのである。それを「病なし」と言いきるのは言いすぎである。現象は無いことはない、現象を全否定してしまうのはまちがいである。現象は本体的実在ではないことはもちろんであるが、本体展開して現象となるのであって、現象なしと言いきってしまうのは奇矯だと言う人があります。(中根氏出題)

(答) 生長の家では「現象は実在でない、病は実在でない」という言葉を各所のページで説いておりますが、また時には、非実在と書いて「あらず」とか「ない」とかふりがなをつけたところもあります。が、近ごろはいっそう平易なわかり易い言葉で直截的簡明に「病気はない」「現象はあるように見えてもない」と力強く言いきることにしているのであります。

 わたしがなぜこう言うかは悟った人は知っていると思います。われわれが平常使っている言葉は、現象界を言いあらわす言葉であって、実相に直参する言葉ではありませんから、その言葉をそのまま利用して、至妙の実相に直参せしめるためには、普通とちょっと違う「奇矯に見えるかもしれない」言葉を使うのであります。言葉は月を指す指であって、言葉の表現にとらわれていては、月を指す指の形が太いとか細いとか議論していると同じで、いつも月が見えないことになるのであります。

 「現象はない」という言葉をわたしが使うようになるには霊感的な導きはむろんありますが、わたしとしては人間的にもよほど苦心したのであります。第一、「実在」という言葉は哲学上の言葉でありまして、普通の人には(少なくとも中学程度卒業くらいまでの哲学的素養なき人には)理解しがたい言葉なのであります。
 「実在」とは何を意味するかということになりますと、大変むずかしいことになりまして、『生命の實相』のような大衆の光明化を目指している聖典には、こんなむずかしい言葉はなるべく少なく使いたいと思いました。

 ある信徒の方はわたしに「生長の家は高遠の真理を驚くほどやさしく書いてありますが、どうもまだ言葉がむずかしいと言う人が多いから、できるだけやさしく書いてくれ」というような注文もせられたのであります。

 いろいろ考えたすえ、この「実在」という哲学上のむずかしい言葉を、わたしはたんに「アル」または「本当にある」という言葉に代えたのであります。これを哲学的に理屈を捏ねて、実在でないというのと単に「ない」とは大いに意味が違うような言葉の穿鑿問題に浮き身をやつすのはまちがっているのであります。

 わたしの使っている言葉にはいろいろ平易化の上に苦心があるのですから、言葉で引っかかって揚足をとらずにその真意を知って実相に直参していただきたいのであります。

 が、「実在」と「アル」とはそんなに問題にするほど違いません。また、その逆、「実在でない」と単に「ナイ」とはそんなに違いません。「実在」という言葉はむずかしそうな言葉でありますけれども、英語では、“Being”すなわち「在ること」という字を使って「実在」と言うのであります。わたしはこの英語の易しさに感心しました。「実在」と言わずに「アルコト」とは平易で要をつくしています。「実在」が「アルコト」であれば、「実在でない」ことを「ない」と平易に言ったら、かえって平易でわかりやすいと思います。

 むろん、英語の“Being”を「実在」と読ませるにはBを花文字にしてあります。日本語には花文字がありませんから、花文字を使うわけにゆかないので、前後の関係で「実在でない」という意味をわからすように苦心した上で「ない」という言葉を使い、また時々、花文字の代わりに、その「ない」という言葉の所に傍点を付したりして、それとなく解るようにしてあるのであります。
<つづく>


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