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Web誌友会 板/2

1356復興G:2013/05/23(木) 11:27:28 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 「宗はオホモトなり。天皇なり。すべての教も則も範も矩も規も法も、悉くスメラミコトより発するなり。宗教が宗派と云ふものに立ち籠りて、宗祖と云ふ一人の國民に過ぎざる人間を尊崇するは邪道なり。されば我は夙に喇叭に過ぎずと云ひたるなり。すべての宗祖は喇叭に過ぎざるなり。宇宙の大教祖は、天皇にてあらせられるなり。ミチとノリとは悉く、スメラミコトより出づればなり。

 「釈迦在世のとき、金波羅華を拈じて衆に示すに、迦葉のみ徴笑す。金波羅華は『空』の象徴に非ず、宇宙がコスモスであり、中心帰一である象徴なり。日本国体の象徴也。迦葉のみ徴笑す、とは悲しいかな。ほかの大弟子皆解せざる也。今の仏教者はいかほど金波羅華の秘密を解せりや。仏教を以て『空』を説くとなす者、百尺竿頭に坐する底の者なり。百尺竿頭に達せざる者よりは優れり。されど『空』の百尺竿頭より進一歩して、中心帰一世界を見ざるものは、外道の仏教にして、日本仏教にあらざるなり。

 「東大寺の大佛は、中心帰一の蓮華蔵世界を彫刻にあらはせるなり。中心座にましますは、光明遍照者にましまして、それを守護し奉るために、千葉の蓮華その御足の下にありて、各々の蓮華に、悉く釈迦牟尼佛ゐまして、光明遍照者の御徳を讃ふるなり。ヴェーローシャナと云ふ梵語をば、大日如来などと、仏教が如来の如く訳したるは誤謬にはあらざれども、人をして外國の佛様の如く誤解せしめたるや久し。

 「ヴェーローシャナとは、単に『光明遍照』の意なり。宇宙の中心座に在す『光明遍照』なり。畏くも天照大御神にましますなり。天皇は天照大御神と一身にましますが故に、釈迦は、天皇信仰を教へたるなり。それを知らずして、迦葉のみ徴笑す。善い哉。迦葉徴笑せり。今は日本人悉くが徴笑ぜざるべからざる時なり。天皇信仰を知らざるべからざる時なり。今はすべての宗教が、天照大御神を礼拝すべき時なり。そのほかに宗教ある筈はなきなり。」


 派閥や党派で到る處に争ひが見られる現代に、この戦中に書いた序文は頂門の一針のやうな気がするのである。みんな野郎自大、「わしが」「わしが」で争ってゐて、その争ひが終熄しないのは、無我になって宇宙の中心真理に帰一しないからである。

 しかし「真理」と称する抽象的なものに帰一しようとすると、真理は肉眼には見えないから、自分の主観で勝手な主義を樹て理想を描き、相衝突してまた停止するところを知らない。そこで現実世界に宇宙の真理・実相が地上に天降つて顕現する必要があるのである。

 それがキリストの説いた「御意の天に成るが如く地に成る」ことである。その時その無私絶対愛の宇宙の中心真理の人格的顕現が地上に顕現しなければならぬのである。そのやうな人格者を地上に求めるとき、キリスト教ではキリストの再臨といふ形でそれを表現しようとしてゐるし、佛教では弥勒下生といふ形でそれを表現しようとする。

 しかし即今キリスト何處にありや、弥勒いづこにありや、ただ理想として心に描くだけでは抽象概念に過ぎないのである。私は無私絶対愛の宇宙の中心真理の人格的表現を抽象概念ではなく具体的に生ける人格として天皇に於て見出さんとするものである。それが真実であることは終戦時の天皇の絶対無私の愛の行蹟がこの世界を戦火の地獄から救ひ出した事実によつてテスティファイせられてゐるのである。

   昭和三十九年十一月一日
          谷 口 雅 春 識(しるす)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 以上は、谷口雅春先生著『無門關解釋』の「はしがき」(抜萃)でした。


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