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Web誌友会 板/2

1895神の子さん:2013/06/11(火) 13:06:16 ID:8BFF/5aQ
私の父は戦前から本部の職員として奉職していましたが、召集令状によって陸軍へ入隊
戦争中は支那大陸を転戦、戦闘中に胸に銃弾を受けたが、胸のポケットのお守りの聖経甘露の法雨に命中
弾が肋骨の間に食い込み、その衝撃で気絶したのを死んだものとして扱われ、死体の山に放り込まれたものの
たまたま通りかかった軍医に発見され助かったそうです。

終戦・復員後、尊師より復職してはどうかと奨められるも、敗戦による混乱の中、こういう時だからこそ
生まれ育った故郷で光明化運動に専念させてくださいと願い出て許可をいただき、それ以後無給で講演や個人指導で
家にいるのは月の内4〜5日くらいでした。

復興G様や志恩さまが書いておられるように本部会館建設の為の尊師の熱き思いに応えようと決意した父は
戦後の混乱の中で聖使命会費を祓うことが困難で数十万円溜まっていた連合会の未納金を一括で奉納するため
家屋敷、田畑を売却しました。私が10歳の時です。その後の生活は「火を灯す爪」もないくらいの極貧生活でした。

それから10年後父は尊師より本部へ奉職するようにと御手紙を下さって、家族みんなが上京しました。
私は既に東京にいましたので、家族が上京してきた時本部まで行き尊師・輝子奥様に御挨拶させて頂きました。

私にとって原宿本部は父母の思いが詰まったとても大切な大切な宝物でした。
特に御神像は父母の思いの象徴として仰ぎ見て参りました。

撤去されると聞き、父母の目になって本部会館最後の御神像、その御姿を目に焼き付けておこうと思い
撤去当日、学ぶ会の方々から少し離れた場所で光明の塔から剥がされていく御神像を瞬きもせず観ていました。

撤去ではないという人もいますが、原宿本部会館にお鎮まりあってこその御神像です。
山梨の山の中に置かれる御神像はただの置物にしか過ぎません。置く人がそのように思っているのですから。


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