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Web誌友会 板/2

3293復興G:2013/11/05(火) 20:07:34 ID:AB6RqYXc

>>3283 〜3286 :a hope さま

 『生命の實相』 第6巻はしがきの 「人類無罪宣言」 に関して。

 私も、「罪の子」 の観念から自己処罰の意識が強くて、死にたいと思ったり、死ぬような病気をしたりしたことがあります。

 前にも書いたことがある、高校2年のとき(今から60余年前)のことですが――

 ある日腹痛を起こし、もう七転八倒の苦しみで、高熱がつづき、日赤病院に入院しました。盲腸炎がこじれて腹膜炎で、炎症が進み腸に癒着が起きている。そんな状態で最近死んだ人がいると言われました。私も死ぬのだと思いました。「罪の価は死なり」 とイエスは言っている。自分は罪深いものだから、こうして死ぬのだ、という思いでした。

 その 「罪」 とは、特に性欲の問題です。性欲は汚らわしいもので、「罪」 だという思いが深かったのです。その性欲の虜になってしまう自分は、汚らわしい罪の子で、その罪の価は死なのだ――という思いが潜在意識に深く存在していたように思います。

 それは、今から考えると、やはり先祖からの業(ごう)――家系に係る業因を受け継いで来た結果のように思われます。

 そのひとつは、祖父母が必ずしも仲良くなかったこと。

 祖父は医者をしていましたが、その助手・看護師の役をしていた女性にも、一人の子を産ませているのです。

 それは以前、父の戸籍謄本にそのことが記されているのを見ました。父には一人の異母弟がいる。その生母の名も記されているが、父の異母弟(私からいえば叔父)は祖父母の戸籍に入れられていて、生母はその後どうされたかわからない、という状態なのです。

 それで、祖母は悩み、浄らかなものを求め、キリストの教えに救いを求めて教会に飛び込んだと思われます。

 亡くなった時、キリスト教の教会で葬式をし、教会に納骨堂を作ってもらってそこに遺骨が納められています。

 ところで私の死にかけた病気のあとですが――

 私は死を覚悟しました。しかし、死にませんでした。父が、枕元に 『甘露の法雨』 を置いていてくれ、祈ってくれているようでした。日に日に痛みがとれてきて、ついに退院ということになりました。手術はしませんでした。

 そうして家で少し静養していたある日のことです。
 「天地がひっくり返るような、人生観の大転換が、突然何ものかの力によって、なされてしまったような感じ」 という体験をしたのは・・・・。

 そのことは、web誌友会板(1)の>1589
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1589

 に書いていました。

 「肉体の自分は、本来なかったんだ! 自分は、生命だった! 出せば出すほど限りなく出てくる生命だったんだ!」 と目覚めた思いがしました。

 それは、祖母が霊界から導いてくれたという思いがしました。

 それから約60年たちました。いろいろありましたが、最近のことでは、>>2501に書いたようなことも起こったのです。

 今、言われている 「日時計主義」 で、「吾れは太陽の輝く時刻のみを記録す」 ということですが――

 わが内にすべてがある! 自分の中に太陽がある! 自分が太陽である、光である! と思えるようになりました。

 「自分が太陽である! “吾れは吾が輝く時刻のみを記録す” だ!」

 それが 「日時計主義だ!」 と思えるようになりました。

 時間は、本来ない。したがって、時間のなかに表現された一切のものは、本来ない。闇は、本来ない。罪は、本来ない! と思えるようになりました。バンザーイ! です。

 ありがとうございます!


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