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Web誌友会 板/2

1538復興G:2013/05/31(金) 14:07:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>
       ○

「吾れ観世音菩薩、五蘊皆空と照見し一切の苦厄を度す。
物質はない、物質はない、物質はない……
肉体はない、肉体はない、肉体はない……
心もない、心もない、心もない……」

 と念ずる意味について、谷口雅春先生は『真佛教の把握』というご著書の「『般若心経』講義」の中で、次のようにご教示くださっています。

 ≪五蘊皆空と照見すれば「一切の苦厄を度(ど)す」ことができるのです。一切即ちすべての苦しみや災難をみな度(たす)けることができるというわけであります。

 そんなことで何故救かるかというと、「物質がある」と思ったり「心がある」と思って居ったならば、我々はそれにひっかかって、一切の苦厄からまぬがれることが出来ないからであります。「物質はない、肉体はない」という大真理を直観の智慧によって照らして見た時に、はじめて、一切の苦しみ悩みというものが、根拠のない妄想の上に築かれたものに過ぎないということがわかって、それから解放され、救われると、こういうことになるのであります。≫

    ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 さて、私は昨夜どこへ行っていたかというと、私の住んでいる地域の合唱団の練習に行っていたんです。

 そこで歌ってきた合唱曲の一つに、「ひとつの朝」というのがありました。この歌のことは、以前にも書いたことがあると思って調べてみましたら、ありました。昨年11月に、web誌友会板(1)の #1611〜に書いていました。

 大分前のことなので、もう一度その歌詞を貼付けさせていただきましょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

     「ひ と つ の 朝」

            片岡 輝 作詞
            平吉 毅州 作曲

  今 目の前に ひとつの朝
  まぶしい光の 洪水に
  世界が 世界が しずまないうちに
  さあ 方舟(はこぶね)に乗って 旅立とう
  あのノア達のように 旅立とう

  たとえば 涙に 別れること
  たとえば 勇気と 知り合うこと
  たとえば 愛を 語ること
  時には 孤独と 向き合うこと
  旅立ちは 旅立ちは 旅立ちは いくつもの出会い

  今 目の前に ひとつの海
  逆巻く怒濤の 洪水に
  船が 船が くだけないうちに
  さあ 両腕をつばさに 飛び立とう
  あの鳥達のように 飛び立とう

  はばたけ 明日(あした)へ まだ見ぬ 大地へ
  新しい大地へ まだ見ぬ 新しい大地へ
  生きる喜びを 生きる喜びを
  広がる 自由を求めて
  広がる 自由を求めて

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

上記の歌の中に、「(ノアの)方舟(はこぶね)に乗って旅立とう」という詞が出てきますが、ノアの方舟のことは『生命の實相』第11巻万教帰一篇のp.117〜119に、次のように書かれています。

≪ノアの方舟(はこぶね)とは神の教えの船ということである。仏教でも、これを船にたとえて如来の願船とか大乗とか小乗とかいいます。ノアというのはNO・Aであります。「NO」は空であり「A」は阿字であり大日如来の本体であります。諸法は空である。「空」であるといっても、何もないということではない。諸法は空(NO)であって、同時にその空の背後に無量光、無量寿の大日如来(A――阿字)が在まして、この大日如来のみが実在である。われわれの生命は大日如来より出で、大日如来の内にあり、大日如来と一体である。この真理の真教えが「ノアの方舟」であります。すなわち「生長の家」の教えはちょうどこの「ノアの方舟」に当たるのであります。≫

と。
<つづく>


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